【マイヒストリー】こうじ屋ウーマン 浅利妙峰さん④【大分県】 厳しくなる家業、学習塾経営へ

浅利妙峰さん=佐伯市

 <子育ての勉強をする中で、教育への関心が高まった。厳しい経営状況の家業からいったん離れて学習塾を始めた>

 家庭でこうじが使われなくなり、糀屋本店の経営は縮小していきました。私が子どもの頃は3~4人いた杜氏(とうじ)もいなくなり、8代目の父を中心に造っていました。結婚当初は毎週仕込んでいましたが、1980年代になると残りが少なくなってから。私たち夫婦は外で稼ぐことにしました。夫は講座や研修を運営する県外の会社で働き、私は公文式の学習塾を始めました。37歳の時です。

 それまで、長女が公文式教室に通っていました。自分の力で問題を解く学習法は、ガールスカウトと通じる部分がありました。妹や弟たちも学ばせたいので自分で始めてもいいかなと。自分でやれば、子どもたちの月謝がかからないので。

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