珠洲の球児、砺波で笑顔 4人招かれ練習、次回は20人

砺波の児童と交流する珠洲の子ども=砺波市永福町

  ●続く避難生活学校では練習できず…

  ●出町の学童クラブ企画

 能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市の子どもに元気になってもらおうと、砺波市の学童野球クラブ「出町TINKERBELLsボーイズ」が10日、砺波に招いて野球教室を開いた。野球を通じて「元気になろう!プロジェクト」の第1弾。発災から避難生活を続ける珠洲っ子は久しぶりに野球で汗を流し、砺波っ子との交流を通して笑顔がこぼれ、目を輝かせた。

 出町TINKERBELLsボーイズ前監督の小田浩史さん(53)が12年間の指導で珠洲のチームと交流を深めてきた。小田さんが社長を務める、ニットの染色加工分野で国内最大手のIAAZAJホールディングス(砺波市)の珠洲工場で珠洲の野球に携わる社員から、現地の子どもらが非常に厳しい環境下にいることを伝え聞き、少しでも元気づけるために野球教室を企画し、同社が支援した。

 参加したのは珠洲市の学童野球クラブ「宝立サマンズ」で宝立小中6年の刀祢亘輝君(12)、坂尻優成君(12)、橋元歩武君(11)、5年の谷内琉君(10)。

 自宅は珠洲の観光名所「見附島」近くで、震度6強の揺れと津波に襲われ、自宅などが大きく損壊し、いまだに断水が続く。坂尻君を除く3人は学校で避難生活を続け、坂尻君は能登町松波の母の実家に身を寄せる。学校は再開したが、グラウンドは自衛隊の活動拠点となり、体育館も救援物資が置かれ、野球の練習はできない状況という。

 4人は出町TINKERBELLsボーイズの室内練習場で森原誠総監督(36)や多賀亘監督(26)=元富山サンダーバーズ、砺波市=の指導で、ボーイズ選手ら6人とともにキャッチボールや守備練習、バッティング練習などで汗を流した。物静かな様子の4人も徐々に慣れ、ノック練習で「もう1本お願いします」と大きな声を出し、笑みものぞかせた。

 4人は地震後初めての野球に「久しぶりに野球ができて、楽しい」と声をそろえた。坂尻君は「地震を忘れて気分転換ができる」と話し、主将の刀祢君は「(チームの)みんなで野球をしたい」と願った。4人は氷見市の温泉旅館で宿泊し、11日も野球教室で汗を流す。

 プロジェクトは急きょの企画で第1弾は4人の参加だったが、17~18日は20人程度の参加を予定する。今後は珠洲で普通に野球ができる環境になるまで定期開催するという。マイクロバスで往復8時間掛けて珠洲っ子を迎えた小田さんは「珠洲の子どもは普通の生活ができていない。体を動かして、少しでも元気になってほしい」と話した。

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