徽州古建築を訪ねて シリーズ②「文化の趣」 中国安徽省

徽州古建築を訪ねて シリーズ②「文化の趣」 中国安徽省

 【新華社合肥2月12日】中国安徽省の黄山市一帯はかつて徽州と呼ばれ、商工業が発展したことから同州出身の商人は「徽商」(徽州商人、新安商人)として全国で活躍した。商人でありながら儒学を好んだ徽商は、住宅の配置や装飾にも自らの考えを反映させ、独自の様式を持つ「徽派建築」の体系を築き上げた。

 「中国明清時代の民居博物館」の異名を持つ黄山市黟(けん)県西逓(せいてい)鎮の西逓村には「大夫第」と呼ばれる古建築があり、観光名所となっている。建物の外壁の角を意図的に切り取っており、側面の繍楼(女性の手仕事部屋)は内側に大きく引き込み、石彫刻を施した門楣(もんび、門の上の梁)には「作退一歩想」(一歩下がって考える)と刻まれている。

 村内ではこのような建築技法をよく目にする。背後には徽州と文化にまつわる美談があり、清の道光年間(1821~50年)に開封知府(河南省開封府の知事)を務めた胡文照(こ・ぶんしょう)が、西逓に帰郷して先祖から伝わる家を修復した際、行商人らが荷運びしやすいように母屋の外壁の角を一部切り取り、側門の壁を0.5メートル後退させ「上は天、下は地を譲らないが、中間は三分の和気を譲れ」と後世の戒めとした。この建築様式はその後、近隣に広まり、徽州の「和」文化を伝える実証となった。

 建物入り口の両側の柱に対句を飾る「楹聯(えいれん)文化」も徽派建築の大きな特徴と言える。徽州の楹聯は、学問や農耕、修養、家族の調和などが簡単な言葉ながら深い思想で語られており、建築に儒教が浸透していたことを示している。

 西逓鎮政府の鄭芝燕(てい・しえん)党政弁公室主任は「楹聯文化は徽州の家風文化を体現している。村内300戸にはいずれも代々伝わる楹聯が広間に掛けてられており、徽州の伝統文化の中にある『国や家を治め、人を感化して育て、志を立てて品性を持つ」という思想の光を含んでいる」と語った。(記者/刘美子、汪海月)

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