“世界のオザワ” と呼ばれて活躍した指揮者の 小澤征爾 さんが6日、88歳で亡くなりました。小澤さんは、過去に平和コンサートを開くなど、広島とも深い関わりがありました。
今から40年あまり前-。広島駅に降り立つ小澤征爾さんです。第九のコンサートのため広島を訪れました。当時47歳の映像です。現在も続く年末の音楽イベント「第九ひろしま」の前身となったコンサートで、200人を超える合唱団が結成されました。
半年前から毎週末、練習を重ね、小澤さんも何度か広島を訪れる熱の入れようだったといいます。
指揮者 小澤征爾 さん(当時47)
「札幌にもオーケストラができた。京都・長崎にも、ここ(広島)にもある。それがもっと強く活発になって、市民がカープを愛するみたいになる時代が来るとすばらしい」
1985年には被爆40年の「広島平和コンサート」に訪れ、アメリカの世界的指揮者・バーンスタイン氏とともに祈りを捧げました。
被爆60年には医師の故・日野原重明 さんと広島で平和イベントを開くことになり、会場の下見にも訪れました。
指揮者 小澤征爾 さん(当時69)
「これで何センチ?」
小澤さんの叔父は原爆投下当時、軍医で、被爆直後の広島に入り、白血病で亡くなったといいます。
指揮者 小澤征爾 さん(当時69)
「叔父からは広島のことを100回聞いてるわけ。お祈りしたい。反対とか政治的なことではなく、お祈りして。これからの命、これから生きていく人たちのために」
小澤さんにとって戦争や原爆は身近なもので、原爆犠牲者への深い思いを持ち続けました。
指揮者 小澤征爾 さん(当時70)
「若い子たちは戦争も原爆も歴史の本でしか知らない。平和、命、戦争。こういうことが起きたということをちょっとでも直に分かってくれれば」
本番前日の夜、小澤さんは若い演奏家たちを集めて、原爆や戦争について話をしたといいます。ヒロシマに心を寄せ、音楽を通じて平和を伝えた小澤さんの思いは、世界に広がっています。