味と煙と人情、刻んだ65年 南陽の「ホルモン焼かっぱ」先月閉店

惜しまれながら閉店したホルモン焼かっぱの店主・鈴木恵子さん(左)と47年にわたって店を支えた菊地幸子さん=南陽市宮内

 南陽市宮内で、65年にわたって親しまれてきた「ホルモン焼かっぱ」=店主・鈴木恵子さん(82)=が先月末、惜しまれつつのれんを下ろした。メニューは3種だが、味とスタッフの人情味を含めた人気は根強かった。にぎやかで温かな雰囲気にあふれた座敷は、ホルモンの煙だけでなく、多くの人の喜怒哀楽を刻んできた。

 鈴木さんの母で先代のことさんが創業したのは1958(昭和33)年の春。ことさんが亡くなった後、3年間は鈴木さんの長男が店を仕切った。だが、東京で出店することになり、2009年に鈴木さんが後を継いだ。

 鈴木さんは嫁ぎ先の東京で、40年以上銀座のクラブのママだった。古里に戻り「言葉が分からずに戸惑った」というが、常連客らはおおらかな鈴木さんをすぐに受け入れた。自然と先代と同じ、「ママ」と呼ばれるようになった。

 家族3代で通う常連客、そして帰省時に必ず立ち寄る人、評判を聞きつけて市外から来る人と、店はにぎわった。時間をかけた仕込みにしょうゆベースの継ぎ足し秘伝だれ。そんな繁盛店を47年間、陰で支えたのは菊地幸子さん(80)だ。「ママは先代と同じ優しさを持った人」。最も大切なことさん直伝の仕込みを担い、ママを手助けした。

 常連客の会社役員黒沢信彦さん(59)は閉店時にも足を運び、「青春時代を含めて思い出の場所。安心して立ち寄れる場所がなくなる寂しさが強い」と話す。

 20年以降の新型コロナ禍に、少なからず影響を受けた。最近2年は、足の関節痛にも悩まされた。「もったいないよ」「やめないで」。常連客の言葉に、今も心苦しさは消えない。長年親しまれたのれんを改めて手にすると、「店じまいの時は泣かなかったのに」と、涙ぐんだ。

 「母が作り、親しまれた味を忘れないでほしい」と鈴木さん。かっぱの味は、長男が東京都品川区で引き継いでいる。春にはかつての生活の拠点・東京に戻る予定だ。

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