元高校球児がプロ競輪へ 長崎・大崎高出身の山口、養成所に合格! 甲子園中止乗り越え自信に

兄、姉の背中を追って競輪選手への大きな一歩を踏み出した山口=松浦市内

 元高校球児が“プロ”への大きな一歩を踏み出した。長崎の大崎高野球部で遊撃手のレギュラーとして活躍し、2020年夏の県大会で優勝した山口留稀哉(21)が、難関の日本競輪選手養成所の試験に合格。既にバンクを疾走している兄の龍也さん、姉の伊吹さんの背中を追いかけて努力を重ねた結果に「素直にうれしい。ここからが勝負」と言葉をかみしめる。
 松浦市の今福小2年で野球を始め、今福中時代は佐賀県の西松ボーイズでプレー。鹿町工高出身で八つ上の兄、三つ上の姉と同様、高校では自転車に転向する予定だったが、周囲からの熱心な勧めもあり、目標を「まずは甲子園」に変更した。18年春、かつて清峰高や佐世保実高を全国へ導いた清水央彦監督(52)の就任と同時に大崎高へ入学した。
 部員不足で廃部の危機にあった野球部を再起させる“1期生”として、小さな島で寮生活を送りながら白球を追った3年間。地域の期待を担い、短期間で県内屈指の強豪校に成長したが、3年生の夏、まさかの事態が起こった。コロナ禍で甲子園が中止になった。「ショックでみんなで落ち込んだことを覚えている」
 そんなやりきれない思いを抱えながら、夏の代替県大会で栄冠をつかんだこと、翌春の選抜大会で後輩たちが甲子園に初出場したこと…。今は「宝物」だと胸を張って言える。思い出だけではなく、当時、清水監督が「異常な努力をする」と評するほど鍛え抜いた日々は、自信となって今を支えている。
 卒業後は松浦市の自宅に戻って受験に備えた。懸命に勉強して、佐世保競輪場ではプロ選手の胸も借りて練習した。佐世保がホームバンクの兄、姉の存在も心強かった。日本競輪選手養成所の受験は5回までで「お試し」で受けた高校在学中と前々回は1次、前回は2次試験で不合格。今回は「かなり追い込まれていた」4回目の挑戦だった。
 昨年10月、小倉競輪場(福岡)での1000メートルと200メートルのタイムトライアルなどをクリアし、静岡県伊豆市の同養成所であった12月の2次試験も無事通過。1月18日に合格者が発表され、男子は受験者389人中、72人が127回生として夢への切符を手にした。
 今後はプロデビューに向けて5月に入所し、来年3月の卒業と国家試験合格を目指す。「才能はないんで…。こつこつと諦めずにやりたい。将来は九州を代表する“先行屋”といえば山口留稀哉と言われたいですね」。心身ともにたくましくなった努力家は、もっと強く、速くなる。

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