特集は被災地支援です。1月21日、長野県小川村の有志が能登半島地震の被災地・石川県穴水町の避難所で炊き出しを行いました。振る舞ったのは、心も体も温まる西山地域自慢の味「おやき」です。
ほかほかの「おやき」に。野菜がたっぷり入ったみそ汁。
ここは石川県穴水町。
4カ所の避難所や役場でおよそ500人に夕食として振る舞われました。
避難住民:
「おいしいです。おやき本格的なものいただけるのは初めて。すごい食べ応えもあるし具もたくさんで。安心します、ホッとします」
炊き出しをしたのは、小川村の有志でつくる「信州・小川村あったかおやきプロジェクト」の10人です。
発起人は村で民宿を営む丸田勉さん(75)。
小川村から炊き出し・丸田勉さん:
「いてもたってもいられない。実際に自分の目で見てみなければ分からないので、まずは来てみる。自分の目で見て接して、だから次に進める」
丸田さんたちの被災地支援は能登が初めてではありません。
1995年の阪神・淡路大震災。丸田さんは被害の様子をテレビで見て行動を起こしました。
丸田勉さん:
「高速道路が倒れているような火の手が上がった状況を見て、これは自分が経験した見たことのない光景。そういうものに接して本当にいてもたってもいられなかった」
地元のおやきを持って避難所へ。
丸田勉さん:
「菓子パンとか冷たい弁当、そういう状況からやっぱり温かいものを提供する。単なる送るだけじゃなくて、そこに行って顔を合わせて温かいものを作って食べていただく。顔の見えるお付き合い、応援をしたいというのが第一でした」
2011年の東日本大震災でも宮城県の東松島市などを訪れ、おやきの炊き出しをしました。
丸田勉さん:
「小川村はおやきで頑張っている村で、私たちが何ができるかなという時にお金を送るとか義援金という形もできるけど、こういう冬に被災された方たちは温かいものと野菜が喜ばれるのは、今までの経験から分かっているので」
こちらはおやきを製造・販売する「小川の庄」。
おやきの炊き出しに協力してきた店の一つです。
今回、能登のために準備したのは、かぼちゃや野沢菜のおやき1000個です。
従業員:
「気の毒で何とも、こっちで行かれないし、おやきで元気出して少しでも栄養バランスのいいものを食べてもらえれば」
「テレビ見てても悲しい、もし自分がそうなったらと思う。あったかおやきで皆さんに力を出してもらいたいと思う」
1月21日、石川・穴水町―。
日曜の午前4時に小川村を出たトラックが午前10時過ぎ、穴水町に到着。
積んできたのは、小川の庄など村内の3店舗のおやき合わせて1600個です。
おやきもみそ汁の野菜も村内5カ所に設置した募金箱で集めた義援金で購入したり、村内の農家から提供を受けたりしたもの。
水も小川村から持参しました。
小川の庄の権田公隆社長(53)。丸田さんの活動を支えてきた一人です。
小川の庄・権田公隆社長:
「1月1日から胸が落ち着かなかった。どうしても何かしたい、何か役に立ちたい。そういうところで今回、来させてもらった」
丸田強さん:
「手つかずだね、まだこういうのを片付けるまではいかないんだ」
準備の合間を縫って丸田さんたちは周辺を見て回りました。被災地の様子を目に焼き付けるー。
大事なことだと丸田さんは思っています。
丸田勉さん:
「阪神淡路も行きましたし、東日本も行きましたけど、2カ所とは違った感じがすごくしてまして。(被害のある家が)見た目にはぽつぽつという感じだけど、ほとんどが住めない状況。これから被災された方々は家に戻れるかどうか、相当な時間はかかると思う」
夜7時―。
夕食の時間、炊き出しを待つ人が長い列をつくりました。
丸田強さん:
「はいどうぞー、元気出してくださいね」
おやき3つとみそ汁が配られる―。
避難住民:
「とても、おいしいです」
「おいしい、初めて」
「今まで被災した人をテレビで見るくらいで自分がそんなになると思わなかった。こうやって来てもらっておやきのあったかいのなんて食べたことないから今までも、ありがたいな」
「元気出さんといかんね、落ち込んではダメだな、元気出します」
次の訪問は2月。
二つの震災を見てきた経験から、被災地が求めるものは徐々に変わっていくと話す丸田さん。
今後も自分にできることを見つけたいとしています。
小川村から炊き出し・丸田勉さん:
「(おやきを)いただいた方が喜んだ顔をしてくださったのと同時に、ここにいるスタッフが喜んでくれたのがうれしかった。来るたびに多分、人間的なつながりができてくる。そうすると、それが次の輪になっていく。今度は気持ちを和らげるものとか、映画とか音楽とかそんなものを。押し売りじゃいけないと思うのでそういう要望なり、望みがあったらそれに応えたいな」