【マイヒストリー】こうじ屋ウーマン 浅利妙峰さん⑤【大分県】 江戸時代の文献に見つけた「塩麹漬」

大分県産業科学技術センターのデザイン活用新商品開発支援事業で話し合う浅利妙峰さん(中央)と次男の良得さん(左端)=2006年

 <2007年、母が急死。学習塾経営をやめて、糀屋本店に専念することを決めた>

 次男の良得(りょうとく)が「糀屋本店を継ぐ」と言ってくれました。良得は大学を休学して、米国やカナダを旅したことがありました。「米国の建国より糀屋の方が歴史がある」と思ったそうです。

 糀屋を赤字続きの状態では渡せません。2006年、夫の勧めもあって大分県産業科学技術センターに新商品の開発を相談しました。その頃の商品は、糀の他にみそと甘酒の原液くらいでした。センターでは老舗の強みや課題を洗い出しました。

 2007年の年明け、母が亡くなりました。17年間続けた公文式教室を後任に譲り、糀屋に専念することにしました。「女将(おかみ)さん」と呼ばれることに違和感があり、こうじをもっと広めたいという思いを込めて「こうじ屋ウーマン」と名乗ることにしました。

 新商品を開発する中で、「こうじを扱う私たちが、その素晴らしさを伝えきれていないのは怠慢だ」と気付き、反省しました。

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