【早出し】焼けた鉄骨や車、手つかずのまま 石川・輪島朝市本紙記者ルポ

焼けた建物が残る輪島朝市=15日午後0時53分、石川県輪島市

 山形新聞の能登半島地震取材班は15日、観光名所「輪島朝市」で大規模な火災が発生した石川県輪島市などに入った。珠洲市同様、輪島市の被害が大きく、倒壊した建物や道路の損傷が目立つ。朝市が開かれていた一帯は、焼け落ちた建物の鉄骨や車などが今も手つかずの状態で、一角には犠牲者への花が手向けられていた。

 輪島市役所付近から朝市通りに向かう途中、7階建ての建物が横倒しとなっていた。伝統工芸「輪島塗」の五島屋のビルだ。他にも斜めに傾いた建物があり、横を通るのも恐ろしい状況となっていた。

 川沿いを海の方に向かうと、焦げた臭いがした。鉄骨がむき出しになった建物、剥がれ落ちた瓦、焼けた車…。朝市通りに出ると、衝撃的な光景が広がっていた。観光名所としてにぎわっていた場所だが、今人通りはほぼない。垂れ下がったトタンが風を受けてこすれ、甲高い金属音が響いていた。

 朝市の近くの「旭そば支店」を営む浅野直二さん(62)は、火災の被害には遭わずにすんだが、店は揺れで損傷した。大津波警報を受け、避難した近くの山から朝市通りがオレンジ色の炎に包まれるのを見ているしかなかったという。「朝市に来た観光客で商店街もにぎわっていた。この先どうすればいいのか分からない」と力なく語った。

得意の農業分野で力に-白鷹の影沢さん、能登町の福祉施設で活動  能登半島の北東部にある能登町の小高い山の上で、「自分の力を生かせる」と、一心にくわを振り下ろす。南陽市の就労継続支援B型・いちょうの家で職業指導員をしている影沢勝宏さん(56)=白鷹町十王=は、能登町の福祉施設でボランティアとして支援活動を行っている。利用者がブロッコリーなどを栽培するビニールハウスの中で、影沢さんは15日、地震で割れた土壌の修復作業をしていた。

 「能登半島の地震をテレビで見ていて、心がざわざわした」。影沢さんは作業の手を休め、こう話した。東日本大震災の際、地元消防団の分団長だった。停電の中、率先して交差点などで交通整理に当たる団員の姿を見て、「自分も被災地で何かしなければならない」という気持ちに駆られた。だが、当時勤めていたシフト制の職場を長期間休むことは難しかった。

 全国社会福祉協議会は今回の震災で、被災地の福祉施設の要望を踏まえ、ボランティア職員を募った。影沢さんは施設長や同僚、家族の了解を得て、募集に応じ、今回は被災地に向かうことができた。「東日本大震災の頃から抱いていた思いを行動に移したかった。職場の後押しが大きく、車中泊用に大きな車も貸してくれた」と影沢さん。12日から能登町にある社会福祉法人礎会(石井良明理事長)の「自立支援センターみずほで」で活動を始めた。

 礎会は「みずほ」近くの山の上で高齢者の入所施設も運営。施設は揺れで大きく損傷を受け、入所者18人はみずほに避難させた。影沢さんは、この高齢者施設の近くにあるビニールハウスで支援活動を行っている。職場のいちょうの家では、職業指導員として花の栽培などに携わっている。農業分野の作業はお手の物。「ボランティアの形はいろいろあるけれど、得意な分野で力になれるのがうれしい」と話す。ハウスも土壌の地割れに伴ってゆがんでいた。復旧には時間と労力がかかりそうだ。みずほの利用者の瀬戸和正さん(30)は「支援に来てくれるだけでうれしいし、一緒に働いて楽しい」と話した。

 被災地では、お年寄りや障害のある人を支える福祉施設の職員自身も被災している。「人手はいつもより必要になった。影沢さんらボランティアの力はとても助かる」とみずほの職員石井絹子さん(44)。影沢さんは今回16日までの活動だが「できれば、またここで力になりたい」。再訪し、復旧を後押しするつもりだ。

利用者と一緒に、固くなった土壌を耕すいちょうの家の影沢勝宏さん(右)=15日午前9時58分、石川県能登町
利用者と一緒に、固くなった土壌を耕すいちょうの家の影沢勝宏さん(右)=15日午前9時58分、石川県能登町

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