甚大な被害を出した能登半島地震。
その被災地で出会い、復興を誓う親子の姿。そして、被害を防いだ病院を取材しました。
(大石アンカーマン)
「電子レンジ…、椅子もあります。1月1日のあの時まで暮らしていた証しです。その生活が一瞬にして奪われてしまったことを、ここに来て感じますね」
発災から1か月あまりが経った能登半島地震。石川県輪島市では震度7を観測しました。
(大石アンカーマン)
「木が裂けてますね。釘は打ってありますが、釘だけでは建物を支えることができないんですね」
観光地だった朝市通りでは、地震のあと火災が発生。200棟以上が全焼しました。
輪島朝市の焼け跡で出会った親子
【石川県輪島市 2月4日】
(大石アンカーマン)
「まだ焦げた臭いが風にのってやってくる時があります。もう1か月以上経過しているのにね。向こうの方まで火災現場は広がっています」
地震の前は、いつも人で賑わう商店街でした。
その焼け跡を訪れていた人が。
(大石アンカーマン)
「こちらにお宅があったんですか?」
(女性)
「ここに私のお店がありました」
(大石アンカーマン)
「何屋さんだったんですか」
(女性)
「海鮮丼のお店」
ここで飲食店を営んでいた親子。
(海鮮丼店を営んでいた 小路幸子さん)
「これが入り口で、借りていた店舗で、小さなお店で。小さいスペースだけど、とっても詰まった物があって…」
近くの港で毎日水揚げされる新鮮な海の幸を使った海鮮丼が絶品で、名古屋からも多くの人が訪れる人気の店でした。
しかし、地震と火災で、立っているのは焼け残ったドアの枠だけです。
(息子 坂口将寛さん)
「あ!店に一個だけ残っていた物がある。それを見せます」
(大石アンカーマン)
「焼けずに残っていたということですか? 湯飲み茶碗?」
(息子 坂口将寛さん)
「そう。これ一個だけ。これ一個だけ無事にあった」
お客さん用の湯飲みがひとつだけ、割れずに残っていたのです。
(息子 坂口将寛さん)
「ずっと飾っておく。ここにあった、ここの店で使っていたということは、これを見るたびに忘れないだろうし」
(大石アンカーマン)
「証しですもんね」
(息子 坂口将寛さん)
「証し」
必ずお店を立てなおすと、決意をあらたにする坂口さん。
(息子 坂口将寛さん)
「また1からですよ、1どころかマイナスだけど。やっぱり(お店は)母親の生きがいだったから、生活するとかそういうことじゃなくて、本当にお店を生き生きとしてやっていたものですから、ちょっとまたやらせてあげたいなって」
(大石アンカーマン)
「大変ですけど」
(息子 坂口将寛さん)
「ピンチはチャンス。やるしかない。止まっていてもだめやし。元には戻らんけど、また新たに動くことはできる」
(大石アンカーマン)
「必ず来ます」
(息子 坂口将寛さん)
「必ずやります」
震度6強の揺れでも、棚から物ひとつ落ちなかった病院
建物やインフラの耐震化、物資の備蓄など、来る南海トラフ地震への備えを改めて考えさせる今回の災害。
各地で医療サービスがストップする事態も起きましたが、事前の備えで、元通り機能出来た病院が。
七尾市の恵寿総合病院。
【石川県七尾市 2月5日】
(恵寿総合病院 神野正博 理事長)
「ここは全然、棚の物一つ落ちなかった。ただゆらゆら揺れているだけ」
七尾市は震度6強に見舞われ、建物1万2000棟余りが全半壊。
今も広範囲で断水が続いています。しかしここでは…。
(恵寿総合病院 神野正博 理事長)
「手術室が4室ありますが、発災当初から手術は可能でしたし、いま七尾市はまだ断水中ですが、普通に手洗い用の水が出ています」
地震当日から水(地下水)や電気も使えたため、手術や出産もできる体制で、住民の避難場所にもなりました。なぜそう出来たのか。
その秘密は、病院本館の地下に。
病院本館の地下、免震構造の秘密は…
(大石アンカーマン)
「気をつけてくださいね」
狭い入り口からその場所へ、初めてテレビカメラが入ります。
地震防災と耐震工学の専門家、名古屋大学の福和伸夫 名誉教授にも同行してもらいました。
(大石アンカーマン)
「ここに免震構造の秘密があるわけですか」
(名古屋大学 福和伸夫 名誉教授)
「その黒いものです。それが積層ゴムというものなんです。柱の下ごとにゴムを置いて、柔らかいので地面だけが揺れて、建物が揺れないようにできています」
建物を支えているのは、ゴムと金属を交互に重ね合わせた「積層ゴム」。
左右に大きくねじれ、揺れを吸収します。
これが9メートル間隔に全部で49か所設置されていて、地震に耐える事ができたのです。
どう揺れたかを記録する金属板には、くっきりと揺れの方向や長さが刻まれていました。
(名古屋大学 福和伸夫 名誉教授)
「傷がついていますね。このひっかき傷がそのときにどのように揺れたかを示しているんです」
(大石アンカーマン)
「ここまでいってます。これだけ移動したということですか」
(名古屋大学 福和伸夫 名誉教授)
「そうですね、こっちには20センチくらい動いていますね」
(名古屋大学 福和伸夫 名誉教授)
「耐震構造というのは、残念ながら揺れるんです。特に医療というのは、地震直後から医療を継続するというのが、すごく大事なので、手術中でも手術が続けられるような揺れない建物にするのがすごく大事なんです」
恵寿総合病院では、2011年の東日本大震災の後、本館を免震構造で建て替えることを決定。井戸水のろ過装置や、電気も非常時用の自家発電や電力会社2系統から引くなど震災対策をしました。
1月4日には通常の外来診療を開始。6日には人工透析も再開できたのです。
(恵寿総合病院 神野正博 理事長)
「ただ、地震で激甚災害のあとの被害に関しては、いろいろ国からの補助が出ますが、それが災害の前に対策をすると補助がもらえない」
(名古屋大学 福和伸夫 名誉教授)
「国の方向性を変えてもらわないといけないので、こういう大切な病院に関しては、起きた後とにお金を出すのではなくて、起きる前に免震化をする補助制度ができるといいかなと思います」
来るその時に向け、どう備えるのか。そのあり方を見直す必要に迫られています。
2024年2月8日放送 CBCテレビ「チャント!」より