京都市動物園の観覧車で1歳息子と「親子最後」の時間 コンビニ元店長が涙した19年後の吉報

京都市の有形文化財に指定された動物園の観覧車(京都市左京区)

 京都市南区の土田洋也さん(56)は2023年2月、京都新聞の1面コラム「凡語」から目が離せなくなった。

 そこには、京都市動物園(左京区)にある観覧車が市の有形文化財に指定される、と書かれていた。

 1956年に設置された京都市動物園の観覧車は12基のゴンドラを備える高さ約12メートルのアトラクション。

 100メートルを超すような大観覧車と比べるといかにもこぢんまりとしているが、現役では北海道函館市の観覧車の次に歴史が古い。京都市動物園を訪れたことのある人たちにとっては、それぞれの思い出が詰まった大切な存在と言えるかもしれない。

 土田さんの頭に19年前の情景が浮かんだ。寒風が吹く一日だった。土田さんは妻と1歳の息子を連れて動物園に行き、そこで「家族最後」の時間を過ごした。

 結婚から2年足らずでの離婚―。違う道はなかったか。記事を読み進めるうち、さまざまな感情が込み上げてきた。

 土田さんは実家経営のコンビニエンスストアで店長をしていた2001年、7歳下の女性とお見合い結婚した。人生の伴侶を得て順風満帆かと思われたが、現実は甘くなかった。

 当時、コンビニ店長の仕事は激務で帰宅時間が深夜になるのは当たり前。アルバイト従業員が急に欠勤したりすると、自分自身でシフトを穴埋めする以外に方法はなかった。平日も休日も関係なく働き、540日連続で出勤したこともあった。

 客からのクレーム対応もしんどかった。「からあげがこげている」と言いがかりをつけられ、いきなり顔を殴られたこともあった。

 身も心も疲れ果てた。だからと言って、妻に弱音をはいたり、悩みを打ち明けたりすることはどうしてもできなかった。

 「お客さんにペコペコしたり、アルバイトの子に『辞めないで』って媚びを売ったり。そんな格好悪い姿、情けない姿を妻に見せるわけにはいかないって思っていましたから」

 いつしか、夫婦の間に隙間風が吹いた。

 「コンビニの仕事をやめてほしい」と懇願されたこともあったが、家業から離れる決心はつかず。03年、2人は離婚した。

 離婚の直前、第一子の妊娠が判明した。だから、すぐには家族バラバラにならず、土田さんは出産にも立ち会った。息子が1歳を迎えるころまでは親子3人で過ごすことも多かった。

 「もう一度やり直したい」と強く願うようになったある日のこと。

 元妻から親子3人で遊びに出かけようと誘われた。「うん、行こう」と言えばよかったのに、口から出てきたのは違う言葉だった。

 「バイトの子が休んだら出勤せなあかんし、保留で」。完全に愛想をつかされた。

 土田さんが「家族最後」の時間を過ごしたのは2004年12月19日。空はどんよりと曇っていた。京都市動物園の中をぶらぶらと見て歩いた後、土田さんは息子と2人きりで観覧車のゴンドラに乗り込んだ。

 小さな観覧車が一周するのにかかる時間は2分50秒。この観覧車を降りてしまえば、二度と会えなくなるかもしれない。そう考えると、胸が締め付けられた。時計の針は止まってくれない。たまらず、息子の小さな体を抱きしめた。

 あれから19年の歳月が流れ、元妻や息子との関わりは完全に途絶えた。

 自身を取り巻く環境も様変わりした。長く働いてきた実家のコンビニは6年前に閉店。生きる糧を得るために職探しを続けるが、年齢の問題もあってすぐには見つかりそうにない。カーテンを閉め切った部屋で過ごしていると、孤独感にさいなまれることもある。

 そんなタイミングで目にした観覧車の記事。

 価値が認められたのは観覧車。それは理解しているけれど、自分の思い出も一緒に認められたような気がして、心を救われる思いがした。その時の心境を文章にして、京都新聞の読者投稿欄「窓」に送った。

 観覧車 家族の思い出乗せ 南区・土田洋也

 2月3日付「凡語」で、漫画家の谷口ジローさんの冬の動物園での切ない思い出と共に、京都市動物園の観覧車のことが紹介されていた。そして、観覧車が京都市の有形文化財に指定されることになったと知り、涙が込み上げてきた。

 実は私にも、冬の日の動物園とあの観覧車には切ない思い出がある。当時、私には妻と1人息子がいた。だが、私たち夫婦は離婚することを決め、ある年の12月、家族としての最後の時間を動物園で過ごすことにした。

 当時1歳2カ月の息子を抱えて観覧車に乗り、下で見上げている妻に手を振った。息子の小さな手を取って振ったが、彼は何のことか分からないといった顔をしていた。私は息子を強く抱き締めた。その日、私たち家族は別れた。以来、息子には会っていない。

 「凡語」は、観覧車の運転再開に寄せて「人々の歓声を乗せて回り続けてほしい」と結ばれていた。今秋、私の息子も20歳を迎える。観覧車は、私たち親子のあの日の切ない、しかし温かい思い出を乗せて回り続けるだろう。(2023年2月26日付)
 
 秋晴れの日曜日、記者も京都市動物園に足を運んでみた。
 
 乗降場所にあるレトロな自動販売機で200円の利用コインを購入し、4人乗りの小さなゴンドラに乗り込む。

 小刻みに揺られながらの空中散歩は意外に心地よく、南西の方角に顔を向けると京都タワーが見えた。

 眼下で、大勢の親子連れが幸せそうに休日を過ごしている。

 ふと、土田さんが記者との別れ際につぶやいた言葉を思い返した。

 「私にとっては、あの日の観覧車が息子と共有できる唯一の思い出なんですよね。いろいろと悔しい思いはありますが、観覧車が町の文化財として大切に守ってもらえることになって、うれしく思います」

文化財指定を喜ぶ横断幕が張られた京都市動物園の観覧車(京都市左京区)

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