会津の伝統 オタネニンジン 再び根付け 新鶴で産地再興へ 「温泉んだ」など連携、栽培 コンテナ育苗で省力化

 かつてオタネニンジン(会津人参)の栽培が盛んだった会津美里町新鶴地域で、産地再興の挑戦が始まる。地元の「新鶴温泉んだ」が会津農林高地域創生科(会津坂下町)、清水薬草店(喜多方市)、会津伝統野菜(会津若松市)の3者と手を組み、江戸時代から続く伝統野菜を守り発展させる。県が技術を確立したコンテナ育苗を取り入れて作業を省力化し、品質の良いオタネニンジン作りを目指す。22日に1回目の種まきをする予定だ。農業活性化の芽も大きく育て―と関係者は期待を高めている。

 県農業総合センター会津地域研究所(会津坂下町)が指導役を務める。会津農林高の参加は、若い世代に地域の伝統的な作物を知ってもらい、将来の担い手としての意欲向上のきっかけになる。清水薬草店はオタネニンジンの栽培、加工、販売の実績があり、会津伝統野菜はこれまで、地域の伝統野菜を守る活動を進めてきた。

 新鶴温泉の運営を担う「共生」(会津若松市)の社長菅家薫さん(64)がオタネニンジンの生産が減少している現状に危機感を覚えたのが取り組みの発端だ。昭和村生まれで、村が先人の努力でカスミソウの一大産地になったのを知っている。「このままではオタネニンジンが地域から消えてしまう」と居ても立ってもいられず、昨年夏から関係団体に賛同を呼びかけ、実現にこぎ着けた。

 22日は12個のコンテナに3千個の種をまく。成長観察を続け、2年ものとして収穫し、新鶴温泉の料理として提供する計画。施設内の風呂でも使用する。毎年種をまき順次、生産量を増やしていく。高校生には継続的に関わってもらう。

 オタネニンジンの栽培は通常、種をまくために1、2年をかけて畑の土づくりをしなければならない。繊細で病気に弱い作物なので生育に合った土壌環境を整える必要があるからだ。種をまいてから1年ほど苗を育て、さらに別の畑に移植して4、5年、育成する。

 栽培にかかる手間と時間を省力化できないかと、県はコンテナ育苗を2019~2021年度にかけて研究した。市販の園芸用土を詰めた収穫コンテナに種をまき、苗を育てることで作業時間を従来の半分以下に短縮できることが分かった。清水薬草店はすでにコンテナ育苗を導入しており、苗の成長が安定するなど省力化だけでない効果も感じているという。種まき前の土づくりの負担が軽減されれば新規の栽培者が取りかかりやすく、県はオタネニンジンの普及のため、研究成果を周知しているところだった。

 県農業総合センター会津地域研究所は、新鶴温泉の試みが地域一体での産地の維持・発展を目指す取り組みになるのを期待する。吉田直史所長は「貴重な地域資源を守ろうとする動きが出てきたことは意義深い」と話す。

 会津地方のオタネニンジンの栽培は、1993(平成5)年の165ヘクタールをピークに、輸入品との競合や生産者の高齢化、東京電力福島第1原発事故による風評で消費者離れが進み、現在は3ヘクタールと激減した。認知度向上や消費拡大を目指し、県会津地方振興局は2018年から会津地方の飲食店でオタネニンジンを使った料理を提供するフェアを実施している。

※オタネニンジン ウコギ科の多年草で、朝鮮半島や中国東北部が原産地とされる。漢方薬の代表的な生薬として有名で、多く含まれるサポニン成分ジンセノサイドは強壮、疲労回復、精神安定、免疫力強化、血流改善などの作用が認められている。朝鮮人参、高麗人参とも呼ばれ、会津産は会津人参として親しまれている。会津では江戸時代から栽培が始まり、長野県、島根県とともに三大産地の一つとされる。江戸幕府は諸大名に種子を分け与え、栽培を奨励していた。漢字で書くと「御種人参」。幕府から頂いた御種(おんたね)に由来する。会津藩は栽培や販売を専売制とし、人参奉行所を設置していた。

オタネニンジン

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