隆盛誇った山形花柳界の写真、見つかる 1927年開催の全国産業博、歴史ひも解く史料に

演舞場前とみられる写真に、2代目沢渡吉兵衛氏(前列中央)らが写る

 第1次世界大戦後の反動恐慌を機に暗転した景気を回復させようと、山形市中心部で1927(昭和2)年に開催された全国産業博覧会の様子を写した写真が、市内で見つかった。料亭関係者や芸妓(げいぎ)らが並び、隆盛を誇った山形市の花柳界を表した一枚。博覧会から約1世紀を経た記録に、研究者らは「やまがた舞子に代表される花街文化の再評価につながる史料だ」と注目している。

 発見したのは花小路にある旧千歳館の4代目店主沢渡和郎さん(81)=同市七日町4丁目。料亭としての営業を休止した2021年から館内を片付けていた際、物置で見つけた。

 写真は六つ切りサイズ(約20センチ×約25センチ)。沢渡さんの祖父で、当時の山形芸妓置屋組合長を務めていた2代目吉兵衛氏のほか、四山楼や嘯月(しょうげつ)など市内の老舗料亭の主人や芸妓を派遣する置屋の経営者、山形芸妓、同博覧会部長で後の市長大沼保吉氏ら約160人が7段に並ぶ。木製の額縁には「山形市主催」「全国産業博覧會」の刻印が施されている。

 山形大人文社会科学部の小幡圭祐准教授(日本近現代史)によると、建物の特徴などから、撮影場所は「博覧会会場の一つとして建設された演舞場」とみられる。現在の山形グランドホテル周辺に立地し、県内の名勝をモデルとした「月雪花(つきゆきはな)不尽眺望(つきせぬながめ)」が上演されるなど40日間で延べ6万2千人超が訪れた、との記録が残る。

 写真について、小幡准教授は「本県の花街文化を全国にPRしたのでは」と推察する。沢渡さんは不況や明治期の大火など当時の山形市の背景に触れた上で「社会が不安定化する中、(博覧会は)花柳界が横の結びつきを強くしたきっかけだったのだろう」と思いをはせた。

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