【寄稿】「山口仙二氏演説原稿」 「継承」を言う前に 山口響

 被爆者の故山口仙二氏が1982年の第2回国連軍縮特別総会で演説した際に読み上げたとみられる直筆原稿が、長崎原爆被災者協議会(被災協)の地下倉庫で見つかり、本紙でも大きく報じられた。私自身が発見したわけではないのだが、週1回のペースで被災協に通って資料整理を進める研究チームに私も関わっており、その作業の一環として重要な資料が見つかったことを誇りに思っている。
 「ノー・モア・ヒロシマ/ノー・モア・ナガサキ/ノー・モア・ウォー/ノー・モア・ヒバクシャ」と絶叫した演説の最後のくだりは有名だが、今回、演説の全文に読者が触れる機会を得たこともよかった。とりわけ「広島 長崎の被害の実相と後遺に関する 正しい知識と情報を全世界の人々と 特に戦争の惨禍を経験していない世代に広く普及して頂くこと」を訴えている部分は重要である。
 しかしここでひとつの疑問が頭をもたげる。たとえば最近の核兵器禁止条約の成立にあたって、仙二氏の言う「正しい知識」が世界にはいかほどあったのか、ということだ。77年に国内外の多くの団体や個人の力でNGO「被爆問題国際シンポジウム」を成功させて、それが78年以降の数次の国連軍縮特別総会の一つの背景を成していたことと比較すれば、近年、「正しい知識」の普及のための体系的な取組みが日本側でなされていたとは言い難い。海外の活動家から「核禁条約成立に被爆者がインスピレーションを与えた」という類の発言を聞くとき、どうもそれを素直に受け取ってはいけないような気がするのである。
 考えてみると、世界に「正しい知識」がないと仮定すれば、その原因の一つは、実のところ被爆地の私たち自身がそれを十分知っていないことにありそうに思える。
 長崎人(特に若い人)に核兵器について問わば、二言目には「被爆体験の継承」の重要性を口にするだろう。しかし、優等生的な(=教師やメディアに受ける)「継承」の呼び声のみが高く、被爆者が戦後の社会状況の中で何を考え発言し行動したのか、非被爆者はそれをどう受け止めてきたのかについての検証は驚くほど欠けているのではないか。「継承」の中身を深く問わないまま「被爆者のメッセージを次世代に伝えること」の正しさばかりが主唱されているように感じる。
 山口仙二氏の演説原稿は被災協が所蔵する資料のごく一部に過ぎない。数多の資料を掘り起こし読み解く中から、被爆者と被爆地の置かれた複雑な状況に目を凝らす営みを、私自身続けていきたい。

 【略歴】やまぐち・ひびき 1976年長与町出身。「長崎の証言の会」で被爆証言誌の編集長。「長崎原爆の戦後史をのこす会」事務局も務める。長崎大学等非常勤講師。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。

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