転覆船に「だーいすき♡」 津波で沈没、志賀・鍋島さん一家の3姉妹惜別

3姉妹からの惜別のメッセージが書かれた「第十八八幡丸」=志賀町上野港

  ●「物心ついた時からそばに」 突然の別れ明るく見送り

 「育ててくれてありがとう‼」「だーいすき♡」。志賀町上野港を訪れると、色とりどりのスプレーでメッセージが書かれた船が岸壁にあった。持ち主である漁師鍋島正幸さん(48)=同町上野=に聞くと、能登半島地震による津波で転覆して沈没し、解体を待つ船だという。惜別の言葉を書いたのは鍋島さんの3人の娘たち。生活を支えてくれた船との突然の別れを、少しでも華やかに迎えたいというけなげな思いが込められていた。(志賀支局・伊藤聡哉)

 鍋島さんによると、元日は自宅で大きな揺れに見舞われた。しばらくすると、漁師仲間から「船が津波でひっくり返っとる」と連絡があった。「まさか」。半信半疑のまま午後9時ごろに向かった上野港の光景に言葉を失った。船はひっくり返って海中に沈んでいた。

 子どものころから漁師になるのが夢だった鍋島さん。1989年に新造された石川県漁協志賀支所所属の底引き網船「第十八八幡丸」(全長14メートル、6.6トン)に2005年から乗り込み、先代から船を譲り受けることになった15年には、宝達志水町から移住した。

 妻の仁美さん(43)も一緒に船に乗り、カニ、カレイ、タイなどを捕った。出荷は子どもたちも加わって家族総出。食卓には新鮮な魚が並んだ。よく船に乗せてもらったという次女の凪沙さん(15)は「物心がついた時から八幡丸がそばにあった。網から魚を出す作業は大変だったけれど、家族みんなのいい思い出」と振り返る。

 八幡丸が引き揚げられたのは1月下旬。海水に漬かった影響でエンジンは故障し、ロープを巻き取る機械も使い物にならなくなるなど被害は想像以上だった。

 「思い入れが深い船だから、どうにかできないかとさんざん考えた」と鍋島さん。ただ、いつまでも悩んではいられないと廃船を決断をした。

 「明るく見送ってあげよう」と仁美さんが船体にメッセージを添えることを提案し、長女の琴美さん(17)、三女の倖奈さん(12)も加わって、黒や白、ピンク、青のスプレーで思い思いに言葉を吹き付けた。家族5人で船の前で撮った記念写真を見せてもらうと、笑顔であふれていた。

 「家族を支えるためにできることからやっていく」と再び海に出る日に向け、次の船を探しているという鍋島さん。また出航できる日が早く訪れることを願わずにはいられなかった。

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