ウクライナ侵攻2年、京都在住の出身者が帰郷決意「母国の力に」 言葉の壁、仏行く学生も

ウクライナへの支援を訴えてきたユーリさん(15日、京都市下京区)

 ロシアによるウクライナ侵攻開始からまもなく2年を迎える。戦闘終結の兆しが見えない中、京都市内に身を寄せるウクライナ人の中には日本を離れ、新たな生活を始めようとする人たちがいる。留学を機に来日した男性は母国に、避難していた女性は他国へ。一日も早い祖国の平和を願い、それぞれの道を歩む。

 「私を育ててくれたウクライナが大変な時に、安全な場所で暮らしていてよいのかという気持ちが消えなかった」。首都キーウ(キエフ)出身の会社員・ヴォロンコブ・ユーリさん(31)=右京区=は3月に帰国する。徴兵の可能性はあるが「戦場で命を落とした若者がいる。逃げるつもりはない」と静かに語る。

 日本文化への関心から2014年に龍谷大に留学し、その後、京都市内の企業に就職。日本での生活が続くと思っていた。しかし、2年前にロシアによる侵攻が始まった。以降、母国の力になりたいとの思いが強まり、昨夏、ルーマニアに避難していた家族がウクライナに戻ったことをきっかけに帰郷することを決めた。

 日本では、ウクライナ避難民の悩みに耳を傾け、2週間に1度、街頭で「ウクライナに平和を」と訴えた。日本の支援に感謝し、能登半島地震の被災者を支えようと募金活動にも取り組んだ。「私たちは人の痛みに敏感になった。恩返しがしたかった」と話す。

 京都の社寺で見た桜をはじめ、刺し身や天ぷら、ハモ料理など、忘れられない思い出がたくさんある。戦況が落ち着けばまた来日したいといい、「ウクライナに帰ったら、日本が恋しくなると思います」。ユーリさんはそう言って少しだけ笑った。

 一方、22年9月から京都に避難している大学生ソブチュク・アンナさん(20)=左京区=は「侵攻が終わっても母国に戻らないだろう」と打ち明ける。

 昨夏、一時帰国の際に立ち寄ったキーウでは、ドローンによる攻撃が行われるなど戦況は深刻だった。ふるさとは、国内避難の転入者が増え、戦況を巡って市民と軍関係者の対立が激化していた。「日本で安全な生活を送っていた私には受け入れらなかった」と振り返る。

 ただ、京都での避難生活は言葉の壁が高かった。定住は困難だと感じ、留学期間が終わる3月に日本を離れ、母国に近いフランスの大学院へ進学することを決めた。落ち着く先がどこになるのか、答えは出ない。長引く戦争に「母国との精神的なつながりを失いつつある」とこぼした。

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