日本代表の森保一監督続投は妥当か? アジア杯ベスト8敗退、豊富な戦力を最大限に活用できる最適任者なのかと言えば...

カタール・ワールドカップを経て、森保一監督体制の継続を後押ししたのは、過去3度経験してきたベスト16という成績以上に、優勝経験国のドイツとスペインに勝利したインパクトの大きさだったはずだ。

確かにカタール大会当時の両国との力関係を考えれば、余人をもって代え難い快挙だった。それは同時に、ほかの監督では考え難いコスタリカ戦の失策を補って余りある評価に値した。

その後も日本代表は、ドイツを筆頭に強豪国も含めた親善試合で快進撃を続け、こうしたプロセスを経て指揮官は遠藤航の進言を受け入れる形で目標を世界一へと上方修正したという。

実際に森保監督の手持ちの戦力は、2002年日韓大会から前任者たちが3度到達したベスト16の頃とは比較にならない。これだけ欧州組が急増の背景には、日本代表選手たちの市場価値の上昇もあるので、森保監督の功績も否定はできないのだが、反面、この豊富な戦力を最大限に活用できる最適任者なのかと言えば大きな疑問符がつく。

カタールW杯での森保監督は、入念に考え抜いたプランを実行し、それが見事に当たった。一方で試合中に起きた不測の事態への対応能力については、アジア最終予選当時から課題になっていた。

ベスト8敗退に終わった今回のアジアカップではイラク戦で菅原由勢、イラン戦では板倉滉が標的にされていたのに、何も打開策を講じずに敗れた。3年前に行なわれたアウェーでのサウジアラビア戦でもMFで軽いプレーが続き、致命傷の予兆が見えていた柴崎岳を引っ張り、最終的には相手の決勝ゴールに繋がるミスが生まれた。

もちろん、育成過程なら選手を信じることは大切だ。しかし「世界一を見据える」プロフェッショナルな勝負の場では妥協のないジャッジが不可欠で、競い合う強豪国では刻々と変化するピッチ上の状況に即した対応が出来なければ、タクトを持つ資格も与えられない。

例えば半世紀以上前のアマチュア時代でも、ドイツ人のデットマール・クラマー特別コーチは、酷いミスを冒したレギュラーSBを「今後、日本代表でおまえの姿を見ることはない!」と厳しく突き放した。復帰させたのは、日常的な好調ぶりを再び確認してからだった。

【アジア杯PHOTO】イランとの戦いをスタジアムで応援した日本代表サポーター(part1)

日本代表は、文字通り日本中のサッカー少年たちの憧憬(しょうけい)の的になった。だからこそ代表監督には、相応の厳格さを基盤とした公平さを示す責務がある。

少しでも隙を見せれば即座に次の選手がピッチに立ち、貪欲にポジションを奪いにいく。こうしたサイクルが担保されて初めて競争原理が成り立ち、贅沢な駒がチーム力へと昇華されていく。逆にこれだけの戦力を抱えながら不調なスタメンに見切りをつけられないようなら、メンバー選考そのものが不適切だったことになる。

アジア杯では「もっといろいろ提示して欲しい」という守田英正のコメントを批判と捉える向きもあったが、特に選手主導のボトムアップ方式を取り入れている以上、それは必然の反応で、むしろ機能させるためには選手が望むことに先回りして手を差し伸べる準備を施して置くのが監督の役割になる。

つまり監督は選手の先取りをしてニーズに応えていく必要があるのだが、森保監督の見識では選手たちが重ねている高度な経験の後追いにも間に合っていない印象だ。

確かに「チーム一丸」は重要だが、反面、異論なき仲良し集団には限界がくる。もちろんどんな監督にも独特の嗜好はあるわけだが、極力パーソナルストーリーは排した選考に徹しないと最適解を引き出し切れない可能性がある。

結局、代表監督を託すというのは、それらも含めて森保監督のサッカー観との心中を意味するわけだが、それは日本サッカー協会が掲げ続けてきた世界制覇という大風呂敷とは、あまりにかけ離れた選択だと思う。

取材・文●加部究(スポーツライター)

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