人気料理研究家・まるみキッチンの三女、1万人1人の難病に。「肝移植しないと1歳まで生きられない」と言われ…、生後8カ月で生体肝移植手術に踏みきるまで【胆道閉鎖症体験談】

伊風紀ちゃんが1回目の手術を終え、退院していた時期に三姉妹で取った写真。

料理研究家・まるみキッチンこと三浦健吾さん(31歳)は、3歳の女の子と、まもなく1歳になる双子の女の子、3人のパパです。
双子で三女の伊風紀ちゃんは胆道閉鎖症という指定難病と診断されています。まるみキッチンさんが『やる気1%ごはん 悶絶レシピ500』が2023年第10回レシピ本大賞を授賞して、仕事が超激務だったころは、実は妻と三女の肝移植手術のための準備をしていた時期だったのだそうです。
伊風紀ちゃんの闘病の様子を健吾さんと妻の未紗紀さんに聞きました。全2回のインタビューの2回目です。

人気料理家・まるみキッチン、娘が難病に。双子で生まれた三女のうんちが白っぽい!不安が日に日に大きくなって・・・【胆道閉鎖症体験談・医師監修】

肝移植をしなければ1歳まで生きられない

葛西手術を終え、退院していた時期の伊風紀ちゃん。白目が少し黄色っぽくなっているように見えます。

生後1カ月を過ぎたころ、伊風紀ちゃんは約1万人に1人の指定難病である胆道閉鎖症だとわかりました。胆道閉鎖症は、肝臓から胆汁(消化液)を腸に流す胆管が何らかの原因でふさがれる病気です。胆管がふさがれると、胆汁が肝臓の中にたまって肝細胞を破壊します。それにより肝機能障害などを発症し、放置すると肝硬変から死に至ることも。
伊風紀ちゃんは生後2カ月を迎える前に、閉鎖している胆管を切除して、肝臓と腸管をつなぎ合わせる「葛西手術」を行い、約2カ月間の入院生活を送りました。

「1回目の手術の前、最初に胆道閉鎖症について説明を聞いたとき、医師に『最悪の結末はどうなりますか』と聞いたんです。『何もしなければ亡くなります。まずは葛西手術をして、それでもよくならなければ次の手段として肝移植が考えられます』とのことでした。娘の肝臓をまるごと摘出して、ドナーの臓器を移植する肝移植は、その前の処置でよくならない場合の最終手段なのだそうです」(健吾さん)

2カ月間の入院を経て生後4カ月を迎えるころ、伊風紀ちゃんは退院して家族との時間を過ごせることになりました。とはいえ、伊風紀ちゃんには定期的に通院して、ビリルビンという胆汁の成分の数値を見る検査や薬の処方を受ける必要がありました。
そんなある日の診察の際、未紗紀さんは医師からショッキングな事実を伝えられます。

「主治医の先生に『この子は肝移植をしなければ1歳まで生きることができないです』とはっきり言われてしまったんです。葛西手術をして薬を飲んでいても、ビリルビンの数値がなかなか下がらないことや、三女の肌の状態があまりよくなっていなかったからだと思います。
肝移植の説明はありましたし、それは最終手段、と言われていたので、とてもショックでした。やっぱり肝移植しかこの子が生きる方法がないんだ、と突き付けられた瞬間でしたが、逆に肝移植をすればこの子は助かるんだということでもありました。伊風紀の命がもちろん第一です。命をつなぐことを考え、家族で肝移植の説明を受ける準備を始めました。伊風紀が4カ月半ごろのことでした」(未紗紀さん)

肝移植のドナーになるためには、厳しい検査が必要だった

肝移植手術を受ける直前の伊風紀ちゃん。顔も体もパンパンにむくんでしまっていました。

そんな中、生後5カ月を迎える少し前に、伊風紀ちゃんの容態が悪化します。

「2023年の7月になってすぐ、三女がミルクを飲んでも吐き出すようになって・・・嫌な予感がしました。
そして7月3日の朝、いつもより体温が高かったため病院に電話し、受診することにしました。三女の熱は病院についたころには38.5度まで上がっていました。胆管炎を起こしているという診断で、すぐに入院して抗生剤投与の処置をしてもらうことができましたが、気づくのが遅かったら命にかかわっていたかもしれません。再度血液検査をしたら、ビリルビンの値が葛西手術の前よりも上昇していて、胆管炎がよくなってからもなかなか下がらなかったんです」(未紗紀さん)

胆管炎は抗生剤治療で改善しましたが、その後、ビリルビンの値が下がらず、腹水も増えました。内科治療でのコントロールが難しくなり、できるだけ早く肝移植手術を受ける必要がありました。三浦さん夫妻は大阪母子医療センターから、大阪大学医学部附属病院(以下、阪大病院)の小児の肝移植のスペシャリストである医師を紹介されます。8月に入ってすぐ、お互いの両親を連れて肝移植手術についての説明を聞くことに。

「肝移植についての説明を聞き、親である妻か僕がドナーになれるのかどうか検査をすることになりました。
ドナーとなるには、血液検査などさまざまな精密な検査を受け、すべての項目が正常値である必要があるそうです。たとえば、すでに病を持っていて服薬していたらドナーにはなれませんし、コレステロール値が少し高くても適しません。コレステロールの数値を正常範囲内にするために薬を飲んだりすることもできません。つまり自然な健康体であることが条件でした。

僕は太っていた時期があったので、肝脂肪など肝臓にダメージがある可能性が懸念されました。喫煙歴もあり、筋トレのために日常的にサプリメントも飲んでいました。一方、妻は飲酒習慣も喫煙歴もなく、風邪などにかかることも少ない健康体でした。そこでまずは妻から検査を受けることにしました」(健吾さん)

「血液検査などで健康であることが証明されないと、血縁関係であってもドナーになれないとのことでした。もし私か夫がドナーになれない場合は肝移植のドナー登録をします。ドナー登録による肝臓は1年半くらいで提供されることが多いらしいんですが、すでに1歳まで命が持たないと言われた伊風紀の場合、そこまで待てない状況でした。

幸い、私は数回の検査でなんとかドナーとしての条件をクリアしました。通常、生体肝移植のドナーになるには、健康であること、3親等以内の血族であることのほかに、血液型の適合もあるそうです。私はB型で娘はA型なんですけど0〜2歳のころは成人ほど血液型の不適合は影響がないということで、娘に肝臓を提供できることになりました。
そのころ三女は、腹水がたまってしまっているし、顔も体がパンパンにむくんでいて、みるからにしんどそうでした。早くなんとかしてあげなくちゃ、という気持ちでいっぱいでした」(未紗紀さん)

摘出した三女の肝臓は、真っ黒な色をしていた

移植手術を受けた直後の伊風紀ちゃん。

未紗紀さんがドナーになることが決まったのは、2023年10月中旬ごろのこと。 手術をうけるため、伊風紀ちゃんも大阪母子医療センターから阪大病院へ転院し、11月上旬、ついに未紗紀さんと伊風紀ちゃんの生体肝移植手術が行われました。

「私と娘の手術室は隣同士でした。まず、私が全身麻酔を受け、肝臓の左側を三女のサイズに合うように摘出します。取り出した肝臓は、そのまま隣の部屋にいる三女のところに運ばれて、そこから移植がスタートする、と聞いていました」(未紗紀さん)

「妻の手術は朝の9時からスタートし、夕方5時には無事に縫合がすんだ、と聞きました。続いて三女の手術が終わったのは翌日の深夜2時ごろでした。移植手術はもちろん100%安全というわけではないので、妻と娘が無事かどうかが心配で心配で、いても立ってもいられませんでした。いつ連絡がくるかわからない電話を見逃さないようにずっと神経を張り巡らせながら、夜に病院のまわりをぐるぐると歩き、気づいたら3周くらいしていたと思います」(健吾さん)

深夜2時に伊風紀ちゃんの手術終了の連絡を受けた健吾さん。医師から2人の状態について説明を受けます。

「妻の手術に続き、伊風紀の手術も無事に終了した、と聞いたあと、『よかったら娘さんの肝臓を見ますか?』といわれ、摘出した娘の肝臓を見せてもらいました。保健の教科書で見るような肝臓とはまったく違う、真っ黒な色をしていました。赤くないんです。以前にどこかで目にしたことがある、喫煙者の肺のような感じがしました。

『もし1週間遅かったら、娘さんの命を助けるのに間に合わなかっただろう』とも言われました。妻が三女の様子に気づいてくれて、そして厳しいドナーの検査にもパスをしてくれ、大変な手術にも耐えてくれて、本当にさまざまな奇跡的なタイミングが重なって手術が成功したんだ、とわかりました」(健吾さん)

一方、未紗紀さんが手術後に目を覚ましたのは、その夜11時ごろのこと。

「気がつくと、体にいろんなチューブがつながっていて、全身が痛みと熱さでたまらなくつらくて、今、思い出したくもないほどの感覚でした。帝王切開の手術をしたときの感覚とは全然違いました。帝王切開のときは、日ごとに体が元気を取り戻していくのを感じましたが、今回の手術は、熱と痛みが何日も続いて全身がしんどかったです。

それでも、無事に私の肝臓が娘に移植され、そして伊風紀の体は私の肝臓を受け入れてくれて、手術をしてから今まで感染症などもなく過ごせています。何もかも先生方のおかげです。本当に感謝しています」(未紗紀さん)

手術後、ぐんぐん成長している様子がうれしい

生後11カ月の伊風紀ちゃん。肝移植手術のあとから、ぐんぐん成長し、笑顔も増えたそうです。

11月上旬の手術が終わり、未紗紀さんは2週間ほどで退院。伊風紀ちゃんは術後にビリルビンの数値も下がり、少しずつ回復しています。

「手術後の経過は良好のようですが、なぜか腹水がたまってしまう症状が続いています。なので今も入院しつつ様子を見ていますが、2024年1月になってから三女は阪大病院から母子医療センターに転院。母子医療センターで毎日いろんなリハビリをしてもらっているからか、最近急激に成長した感じがします。

手術前は腹水で体がパンパンにむくんでしまって寝返りもうてなかったんですが、手術後には寝返りをうてるようになって、ころんころんと転がって楽しそうな三女の笑顔をみるのがとってもうれしいです」(未紗紀さん)

2月に伊風紀ちゃんは1歳の誕生日を迎えます。生後4カ月で入院してからはお姉ちゃんたちにほとんど会えない入院生活が続いていました。

「今年の2月中旬の誕生日までに退院するのは難しいかもしれませんが、誕生日当日はきょうだいの面会を可能にするよう、センターが配慮してくださるそうで、今から姉妹たちがそろって会える日をすごく楽しみにしています」(未紗紀さん)

小さな気がかりも医師に相談したほうがいい

生後3カ月のころ、伊風紀ちゃんが退院していた時期に家族写真を撮りに行ったときの様子。

肝移植手術を受けると、一生涯免疫抑制薬を内服しなければなりません。そのほかにも、成人してからもアルコールを控えることや、脂肪肝にならないよう脂っこい食事に気をつけることなど、生活上で注意が必要なことがいろいろあります。

「生活で気をつけることはありますが、容態が落ち着けばスポーツもしていいし、将来は出産もできる、と聞いて一安心しています。薬は手放せないけれど、たとえば双子の姉である凪紗と、同じような生活が送れるんです」(未紗紀さん)

「僕は料理家の仕事ではけっこうわんぱくなメニューを作ることが多いんですが、三女がごはんを食べられるようになったら、三浦家は三女に合わせてヘルシーメニューにしようと思っています。ただ、長女がハンバーガーやポテトが大好きなので、どうしようかな、とは思いますが・・・」(健吾さん)

双子はもうすぐ1歳になります。生後1カ月で胆道閉鎖症とわかってから、2回の手術と長期に渡る入院生活が続く中、健吾さんは家族と過ごす時間の大切さを改めて考え直したそうです。

「子育てをしていると、正直、子どもに対してイラッとしてしまうこともありました。でも三女の闘病を通して、当たり前の日常こそがかけがえのない大切なものだ、と改めて気づくことができました。僕はつい仕事を優先して、休みの日も一緒にお出かけしたり、遊んだりしてあげられないこともあったんですけど、これからは家族との時間をできるだけ大切にしようと思っています」(健吾さん)

「双子を出産して、どうしても気になって三女を小児科に連れて行った日を経ていろいろなことがありすぎて、今まで1年たっていないとは信じられません。本当に大変な日々でした。病気がわかってからの数カ月はほとんど記憶がないくらいです。

今回、伊風紀の闘病を経験して一つ言えることは、子どもの様子がおかしいと思ったら、小さなことでも医師に相談したほうがいい、ということです。私も初めは『うんちが白いのはミルクのせい』と言われて、『そうかな』と納得したことを、あのときもっと聞けばよかった、と後悔しています。
胆道閉鎖症のことを調べたくてもなかなか症例が少なく、どんな治療は経過をたどるのか知りたくても情報に行きつくことができませんでした。
私たちの経験が、少しでもほかの家族の役に立てれば、と思っています」(未紗紀さん)

【畑先生から】 胆道閉鎖症は早期発見が重要

胆道閉鎖症は、葛西手術で長期に自己肝で生存できることもありますが、伊風紀ちゃんのように肝移植が必要となる場合もあります。胆道閉鎖症と診断され、治療を行っている場合、肝移植の有無にかかわらず、内服加療など、継続して医療を行う必要があり、御家族や周囲のサポートが非常に重要です。
原因がわかっておらず、出生前診断も難しい疾患ですが、診断・治療介入時点での肝臓へのダメージを最小限にするためには、早期発見が望ましいです。

監修/畑彩葉先生 お話・写真提供/三浦健吾さん、未紗紀さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

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阪大病院へ転院してから移植手術までの1カ月間、未紗紀さんは付き添い入院をしていました。その間、長女と二女は健吾さんの実家で暮らしていたそうです。家族に危機的な状況が重なっている間、健吾さんは仕事では本屋大賞を受賞したり、メディアの仕事が増えて東京への出張も多くなったり、と公私ともに大変な日々を過ごしていました。無事伊風紀ちゃんの手術が済んで心からほっとした、と話してくれました。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年1月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

まるみキッチン/三浦健吾さん(みうらけんご)

PROFILE
「だれでも簡単に作れる」をモットーにした料理をSNSに投稿する料理家。SNS総フォロワー数290万人越え(24年1月現在)身近な食材で手間を省いた、アイデアに富む実用的なレシピは若い世代からファミリー層まで支持されている。著書に「やる気1%ごはん テキトーでも美味しくつくれる悶絶レシピ500」「弁当にも使える やる気1%ごはん作りおき ソッコー常備菜500」など。

畑彩葉先生

PROFILE
大阪母子医療センター 消化器・内分泌科。
2014年近畿大学卒業、大阪大学医学部付属病院での初期研修、ベルランド総合病院での勤務を経て現職。日本小児科学会認定小児科専門医。

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