それでも本を求める人はいる(2月25日)

 被災地に本を送るな、という声が上がっているらしい。混乱の極みにある避難所などに、段ボール箱に本や雑誌を詰めて送ったところで、そんなものは誰も読まない、ゴミになるだけだ、という。もっともな批判に聞こえる。しかし、そうした批判の「正しさ」に萎縮して先に進めなくなるのであれば、それはとても不幸なことだ。

 わたしは実は、東日本大震災のあと、三カ月足らずが過ぎた頃に、関わりのあった岩手県の遠野市で、全国に呼びかけて本を送ってもらい、それを被災地に献本する運動を始めている。そのときの体験を思い出しながら、書き留めておきたいことがある。

 三陸沿岸の村や町からは、いくつもの声が聞こえてきた。本を読みたい気持ちはあるが、避難所に届いた段ボール箱を開けると、不要になった本や雑誌を詰め込んだのか、避難している人たちが読めるものは少なかった。学校に届けられた箱には、大人向けの週刊誌ばかり、ということがあった。いつしか、避難所や学校の隅っこに、善意であるはずの贈り物がゴミの山と化して積み上げられていた。それが疑いのない現実だった。

 それを承知のうえで、被災地への献本プロジェクトを立ち上げた。すでに同じようなプロジェクトはいくつも動いており、その噂[うわさ]も聞こえてきたが、膨大な本の仕分けができず倉庫に積み上げられているらしい。たしかに、本を集めること自体はむずかしくなかった。マスコミがこぞって取り上げてくれたお蔭[かげ]で、一年も経[た]たずに三十万冊の本が送られてきた。わたしは「百万冊の本を!」と呼びかけたが、現場からは悲鳴が上がり、引き受けを中止した。

 三十万冊の本は想像を超えて、膨大なものだった。使われていない紡績工場を借りた。緊急雇用の若者たちの手で、すべての本はきれいにされて、情報は一冊ごとにパソコンに打ち込まれた。図書館の分類に準じてラベルが貼られ、掻[か]き集めた書棚の列に整然と収められた。廃墟の図書館と化した。スタッフが被災地の学校や公民館、避難所などを回って、需要を調べた。学校現場からは、具体的なリクエストが寄せられた。遠野側のスタッフには、現役の教員も多く、たとえば小学校の高学年向けに二千冊程度といったリクエストがあれば、見つくろって車で運んだ。ある高校からは英語の辞書を二十冊欲しい、と連絡があり、すぐに対応することができた。

 いくつかの教訓があった。被災地のそれぞれの事情を調べて、きちんと本を選んで送れば、確実に現場に届く。しかも、それは資産管理の対象とならないようにした。混乱している被災地にとっては、大切な条件であった。

 四年ほどの献本プロジェクトの終わりには、四万冊の本が残った。それは、わたしの会津の仲間たちが引き取ってくれた。会津坂下の「ふくしま本の森」(菅敬浩館長)の母体となり、いまも活用されている。被災地で生き延びるために、きっと本は役に立つ、とわたしは信じている。(赤坂憲雄 奥会津ミュージアム館長)

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