『さよならマエストロ』が描く才能との向き合い方 満島真之介と西田敏行が凡人の心情代弁

俊平(西島秀俊)のもとにドイツの名門オーケストラから常任指揮者就任のオファーが届いた。『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(TBS系)第7話は岐路に立つ人々の選択を描いた。

あおぞら文化ホールが閉館した晴見フィルは、オーケストラの機材や譜面をうたカフェに置かせてほしいと頼みに行くが、二朗(西田敏行)に渋い顔をされてしまう。二朗はライブを控えていた。77歳の誕生日を祝うリーダーライブに向けて二朗は練習に励む。

晴見フィルはスポンサーと活動資金を得るため、仙台で開催されるオケフェスにエントリーする。晴見フィルが終わりに近づくにつれて、俊平の身辺もあわただしくなってきた。マネージャーの鏑木(満島真之介)は、俊平に一緒にドイツに行こうと誘う。一方、俊平は香川にある母校から創立100周年の記念行事に招かれた。

憧れのオーケストラからのオファーを俊平は断る。「この町でやりたいことがあるから」が理由だった。それを聞いた鏑木。俊平は多くの人に夢を与える「特別な人」であると懸命に説得するが、俊平の気持ちは変わらない。鏑木は頭にきて、5年前の出来事を持ち出す。「僕の夢も、応援しているみんなのことも全てを裏切ったんです」と思いのたけをぶちまけた。

俊平の選択に悶々としているのは鏑木だけではなかった。娘の響(芦田愛菜)は、俊平に「イライラするよ。才能に恵まれているのに、それをしかるべきところで発揮しない人を見てると」と暗にドイツへ行くべきだと伝えた。

才能との向き合い方は『さよならマエストロ』の主題の一つだ。凡人から見て天才は雲の上の存在だ。演奏家を志した鏑木がマネージャーになったのは、俊平の指揮する演奏を聴いたことがきっかけだった。天才を支えることこそ自分の使命だと思う人もいて、鏑木もそういうタイプだろう。一方で響が音楽を離れた理由は、圧倒的な才能の差を見せつけられたためだ。響と俊平は親子であり、響の悩みは深かった。

凡人は天才に対して、どんな時も天才らしくいてほしいと望みがちだが、それはそれで残酷な一面もある。俊平は今いる環境で周囲の人々と幸せになる道を選んだ。響と向き合い、晴見フィルの活動に携わる中で才能だけで測れない心の機微を知ったことが、俊平の選択につながっている。

俊平に振られてしまった鏑木は、自身をモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」に登場する従者レポレッロになぞらえる。“振り回されてもとことん尽くす男”鏑木は、支える側の気持ちを代弁していた。俊平が世界的な指揮者になることを「独りよがりな夢」だったと鏑木は振り返る。傷心の鏑木を、二朗は「俺も振られっぱなしだよ」となぐさめた。

そこから西田敏行の代表曲「もしもピアノが弾けたなら」にも重なる心境が語られる。天才と凡人を結ぶのは好きという気持ちかもしれない。二朗と鏑木は音楽への愛情という点で一致している。中途半端に楽器に手を出した自分を「神様はちゃんと見ている」と自嘲する二朗だが、二朗がいなければ地域にこれほど音楽が根付くことはなかった。神様はちゃんと見ていて、出張アンサンブルの「アマポーラ」は二朗への最高のギフトになった。

西田が今作に与える影響ははかり知れない。病室で二朗は自身の音楽遍歴を語るが、自然な間合いと語り口に引き込まれた。胸襟を開くパーソナリティと演技にプラスアルファを加える点で、満島真之介は西田に通じるものがある。二人の会話はほろりとする人間味があって相性の良さを感じさせた。

好きという気持ちが断たれてしまったのが天音(當真あみ)だ。父の白石(淵上泰史)からバイオリンをやめるように言われ、泣きじゃくる天音は観ていて辛かった。俊平が本当にドイツ行きを諦めてしまったかは気になるところだ。四国への里帰りが俊平に何をもたらすか見守りたい。

(文=石河コウヘイ)

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