上皇后美智子さまの成婚時に帯締めを献上した父「ここしかない組紐を」4代目の心意気

江戸時代から伝わる「内記台」で紐を組む太田藤三郎さん(左)と5代目の浩一さん=大津市逢坂1丁目

 太田藤三郎さんは、江戸時代末期から続く滋賀県内唯一の組紐(くみひも)製造会社「藤三郎紐」の4代目。本名は太田耕吉さん。生まれたときから紐を組む音に囲まれ、4人兄弟の長男として育った。手先が器用で、休みのたびに近所の自動車修理店を手伝い、高校卒業後、自然と組紐の世界に入った。

 1930年代の大津市には、組紐を扱う会社が約30社あり、従事する人も5千人近くいた。全国でも京都、伊賀、東京に並ぶ有数の生産地だったという。 上皇后美智子さまの成婚時には、3代目だった父が、美智子さまに帯締めを献上した。淡水真珠を組み込み、鮮やかで上品な色合いが目に焼き付いているという。

 しかし70年代ごろから安価な海外製組紐が輸入されるようになり、和装の需要も減ったことで、得意先の問屋が次々と倒産した。

 逆境にあっても、国産の組紐を途絶えさせないため、江戸時代から伝わる「内記台」と呼ばれる組台などを現役で使用してきた。

 一方で新たな挑戦も忘れない。1月には、紫式部が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」に合わせて運行するJRのラッピング列車「びわこおおつ紫式部とれいん」の車内装飾に協力し、平安時代の御(み)簾(す)をイメージした組紐のカーテンを作った。息子で5代目の浩一さん(58)と協力し、御簾の軽くまっすぐな質感を出すため、ヘアアイロンで伸ばしたり、天日干しにして工夫し、2カ月かけて完成した。今後も紫式部をテーマにした組紐のアクセサリーを販売する。

 「お茶、お花、和室のある限り日本文化はなくならない。帯締めならここしかないと言われる組紐を作り続けたい」。大津市逢坂1丁目在住。

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