医療的ケアが必要な長女、足が不自由な長男、そしてそのきょうだい児の二女、願うのは3人の幸せ。社会へ問いたいこと【体験談】

双子のゆうさんとぴぴさんは9歳、こうくんは8歳。小学生になってからは、長期休みを利用してハワイ州の語学学校のサマースクールやウインタースクールに通っていました。

社会福祉士の江利川ちひろさん(48歳)は、女の子の双子(17歳)と長男(16歳)の母です。長女と長男には脳性まひがあり、長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児です。
ちひろさんは、 自身の子育ての経験をいかし、NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事も務めています。障害がある子とその家族のサポートについて話を聞きました。
全4回のインタビューの4回目です。

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入園を断られた幼稚園に、年中の秋から入れることに

ハワイのコンドミニアムで過ごすゆうさんとぴぴさん。10歳のころ。2人の笑顔がとてもキュート!

脳性まひにより足が不自由だった長男・こうくんが日本の幼稚園に入園できなかったため、ちひろさんはハワイのプリスクール(幼稚園)でこうくんに教育を受けさせる選択をしました。
ハワイのプリスクールで、障害児と健常児が区別なく学ぶインクルーシブ教育に出会ったちひろさんは、その教育に感銘を受け、ハワイに移住する準備をすすめていました。しかし、同時期に長女・ゆうさんが体調を崩したこともあり、やはりいざというときに頼れる家族が近くにいる日本で、こうくんが教育を受ける道を探すこともあきらめせんでした。

「二女が通っていた私立幼稚園にも、息子の入園は断られていました。けれど私はPTAの役員を引き受けていて、先生方と話す機会が多くある中で、よく息子の話をしていたんです。息子の状況を折にふれて伝えている中で、息子が入園できなかったのは、決して先生方に悪気があるわけでも、単純に障害があるから受け入れないわけでもなく、息子を『ただいるだけ』にしないための人手不足や、ほかのお子さんへの影響など、いろんな背景があることもわかりました。

そうこうしているうちに、足が不自由で1人で歩けなかった息子が、ずいぶん成長してくれ、足に装具をつけて少しずつ1人でも歩けるようになったんです。そこで、夫と一緒に『これが最後。無理なら移住しよう』と決め、再度、二女が通う幼稚園に息子の入園を相談することにしました。息子の生活状況を伝えると、園がその場で受験日を設けてくれました。そして、その翌週、息子は面接試験に合格して、年中の秋から転入できることになりました」(ちひろさん)

ぴぴさんとこうくんの私立幼稚園は、高校まで一貫の学校です。幼稚園には入れたものの、小学校には加配の教員をつけられないため入学できるかわからない、と言われていましたが、その後、最終的には小学校にも内部進学ができることに。ちひろさんの念願だった、教育を受けお友だちとともに過ごす環境が、日本でも実現したのです。

長男の補助靴は「スーパーシューズ」!

こうくんの靴には歩行をサポートするための装具がついています。

脳性まひがあるこうくんの足にはかたさが見られ、立ったときにつま先立ちになるため、歩行するには装具のついた靴をはく必要がありました。

「幼稚園から内部進学したお友だちはその靴を見慣れていて、息子にとって当たり前だと思ってくれていました。でも小学校で初めて息子の装具を見た子の中には『なにこれ?』『変な靴』と言う子もいました。私はそれはそれでいいと思っていました。人は見慣れれば何も思わなくなる、ということや、子どもには大人が入れない子ども同士の社会があることも、ハワイの生活でわかっていたからです。『変な靴』と言われたら『この靴があると歩きやすいんだよ』と、息子の代わりにお友だちに伝えていました。

そのうち学校の体育の先生が、息子の装具を『スーパーシューズ』と名づけてくれました。それでお友だちも『その靴すごい!』という印象に変わっていったようです。『この子の足は自分の足とは違うんだな』とわかってくれたんだと思います。子どもたちは大人が教えなくても、自分にできることを一生懸命考えようとしてくれ、息子に手助けが必要なときにはサポートしてくれているようでした。息子は足のことで一度もいじめられたりすることなく、高校生まで育ってくれました」(ちひろさん)

脳性まひがある子どもと家族を支えるNPO法人を設立

こうくんが年長のときの運動会。1人で走れた!

脳性まひがある子の親の中には、自分のように就学問題に困っている人もいるのではないか、と考えたちひろさんは、長男が幼稚園の卒園間近になった2014年ごろから、ブログでハワイでの経験や就園・就学に関することを中心に、脳性まひがある子の子育ての困りごとを発信し始めました。すると徐々に読者数が増え、同じような境遇の人たちとブログ上でコミュニティができたのだそうです。

「私のブログのコメント欄に感想や意見をくれる人が増え、いつしかコミュニティができていました。会ったこともなく、本名も知らないけれど、お互いの気持がわかりあえる仲間です。
そんなおり、長女の主治医であり私の友人でもある小児科医が独立開業することになり、『クリニックの一角をブログのオフ会に使ってみない?』と提案してくれたんです。ブログで『集まりませんか?』と声をかけると、13組が集まってくれました。そして、そのときのメンバーで脳性まひの子どもと保護者を支えるため、2015年に任意団体「かるがもCPキッズ」を立ち上げ、2017年に『NPO法人かるがもCPキッズ』を設立しました」(ちひろさん)

CPとは、Cerebral Palsy(脳性まひ)の略。『NPO法人かるがもCPキッズ』では、オンラインで脳性まひのある子どもを育てる先輩ママに相談(ピアサポート)したり、脳性まひで学ぶ力のある肢体不自由児の進学を応援する活動をしています。さらにちひろさんは、福祉系の大学の通信教育学部に入学し、社会福祉士の資格も取得しました。

「活動を続けていくに当たり、当事者である私がかたよった発信をしてはいけないと考え、ちゃんと勉強をして社会福祉士やソーシャルワーカーの資格をとり、専門家として根拠のある発信をしたいと思いました。さらに、ハワイで体験したIEP(個別教育プログラム)のようなしくみを日本に持ち込みたいという夢もあります。現在は大学院に進学し、医療的ケア児家族支援やインクーシブ教育の研究を続けている一方で、県の教育委員会で非常勤のスクールソーシャルワーカーとして、通常校とインクルーシブ校を担当しています。

いつも考えているのは、『自分にしかできないことってなんだろう』ということです。現在の私は、専門職であり研究者でもありますが、医療的ケアが必要な子どもと、足が不自由なために就園・就学の壁に当たった子どもと、きょうだい児を育てている、当事者でもあります。だからこそ、障害のある子どもを育てるご家族のニーズを最優先に考え、少しでも困りごとが解消されるような家族支援ができればと思っています。

私がハワイで言ってもらった『あなたは頑張らなくていい』という言葉が原点です。サポートが必要なご家族に対して、『頑張らなくていい』と言える社会にすることが、私にできる最大のミッションじゃないかと思っています」(ちひろさん)

きょうだい児として育った二女の進路と、きょうだいたちの今

双子のゆうさんとぴぴさんが10歳、こうくんが9歳のとき、ウインタースクールに通うためにハワイへ行ったときの写真。

二女のぴぴさんは極低出生体重児として生まれ、乳幼児期の発達はゆっくりでしたが、3人きょうだいの唯一の健常児です。夫が仕事で不在にすることが多い江利川家では、二女が小学生のころから、長女の医療的ケアを手伝ってもらうこともあったと言います。

「長女がてんかん発作を起こし、酸素吸入や医療的ケアが必要なとき、大人1人ではどうしても手が回らないときもあって。緊急時には二女に手伝ってもらっていたんです。本当は幼少期からきょうだい児である二女もケアしなきゃいけなかったはずなのに、どうしても二女のことは後回しになったまま彼女は大きくなってしまいました。

思春期に入り、二女は家庭環境に対して反発することも多くありました。「みんなはこんなことしてない。なんで私だけ?」「こんな家に生まれたくなかった」と言っていたことも。それでも、17歳になり、進学先を選択する段階で、将来は医療従事者をめざすと言っています。それは私にとっては素直にうれしいことです。でも同時に、わが家の環境が彼女の人生の選択肢を狭めているかもしれないことも考えなければいけないな、とも感じます。
ただ最近では私の発信に協力してくれることもあり、今回のインタビューにあたっても、二女に原稿を見せるとエピソードの掲載を許可してくれました」(ちひろさん)

現在、長女のゆうさんも17歳。特別支援学校に通っています。首がすわらず会話をすることはできず、生活すべてにおいて介助が必要なゆうさん。夜間は人工呼吸器を使って生活しています。今の困りごとは、医療的ケアが必要なために特別支援学校を卒業したあとの通所先が見つからず、「18歳の壁問題」に当たっていること。それでも「会話はできなくても長女の笑顔に癒やされ、元気をもらっている」とちひろさんは言います。

こうくんは高校1年生。脳性まひの影響で足が不自由ですが、メンタルはどこにでもいる16歳の男の子です。進路を考える時期にもなり、大学のオープンキャンパスへ行くなどしているそうです。

3人きょうだいで2人が脳性まひがある子育てをしてきたちひろさん。「今後は、当事者としての経験と専門職としての知識をいかし、日本で障害のある子どもを育てるご家族のために発信を続けていきたい」と話しています。

お話・写真提供/江利川ちひろさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

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医療の進歩によって、脳性まひがあっても症状が軽度な子どもが増えている、とちひろさんは言います。「インクルーシブ教育と言っても、すべてごちゃまぜにするべきとは思いません。長女が受けている特別支援教育もすばらしいものです。長男での経験を通して、就学前の人格が形成される幼児期に、障害のある子どもと一緒に過ごす経験を持つことは偏見をなくすことにつながり、この先の日本のインクルーシブ教育のシステムを構築するためにとても重要なことだと思います」と話してくれました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年2月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

江利川ちひろさん(えりかわちひろ)

PROFILE
1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、社会福祉士・ソーシャルワーカー。武蔵野大学大学院 人間社会研究科 実践社会福祉学専攻。双子の姉妹と年子の弟の母。 長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。

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