『春になったら』濱田岳が一世一代のフリップ芸を披露 冬のキャンプで雅彦が見たもの

『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)第7話のタイトルは「ふたりで最後の家族旅行!芸人の一大決心」である。何も言うことはない。芸人の覚悟を受け止めるだけだ。ここから先の文章はすべて蛇足である。

「認めます!」までの40数分間は泣けた。うるっと来そうな自分を何度「ドンマイドンマイ!」と励ましたことか。いったい自分は誰に感情移入しているのだろうと不思議だったが、最後にわかった。答えは全員だった。

雅彦(木梨憲武)は瞳(奈緒)をキャンプに誘う。「お父さんと2人で旅行に行く。もう一度!」という瞳の「結婚するまでにやりたいことリスト」を見て、「星空の下でたき火やりながらお酒飲もうよ」と提案した。そこには雅彦なりの気づかいがあった。

いろいろなことがあって、雅彦は瞳と一馬(濱田岳)の交際に反対しなくなった。でもその頃には2人は婚約を解消し、距離を置いていた。「会って話したい」という瞳からの連絡に、一馬は時間がほしいと返事する。重大な決断に直面した二人を、人生の先輩たちはそっと見守った。

「時間は無限じゃないんだなって。だからどんどん前に進まなきゃ」。美奈子(見上愛)は岸(深澤辰哉)への想いを振り切って、恋人を見つけることにした。時計の針は刻一刻と進み、それぞれがかけがえのない今を生きていた。

たき火を囲んで雅彦がふともらした言葉。「死にたくないな」を聞いて、瞳の表情が止まった。目の前の暗闇を見つめ、ひと呼吸置いて雅彦に微笑みかけた。雅彦がやり残した「瞳の花嫁姿を見る」をかなえると父に約束した。

残された時間が少ないと雅彦は感じている。これからやることは全て“最後”になる。これが最後かもしれないと思ってキャンプに来た。その時に大事な人がそばにいてくれる。あとはこの子が幸せになるのを見届けるだけ。満ち足りた心には一抹の寂しさがあった。

気を抜いたら寂しくて仕方ないのは瞳も同じだけど、瞳には一馬がいる。そこに歩むべき未来があると瞳と一馬は知っているが、二人にとって次がラストチャンスとわかっているから慎重にならざるを得ない。今度こそ認めてもらう。一馬の真剣な思いは「家族になりたい」という一言に凝縮されていた。

この時のためにあったのかと地団駄を踏んでしまう「僕が好きだよ」は、目の前で観たらきっと筆者が泣いていた。なおギャグそれ自体のキレはいまいちで、義父(予定)の雅彦が連呼する「認めます!」のほうがおもしろいのは何ごとかといぶかしんだが、今回はこれでいいのだ。一馬の言葉は、家族になる人たちに向けた愛情そのものだったのだから。

「雅彦さん、良かったね」と思う自分がいる。人ひとりが生きるという、ただそれだけのことを、こんなにも優しく慈しむように紡ぐ『春になったら』は、生きていることがなんだか途方もないことだと気づかせてくれる。広い宇宙にある地球という惑星で生命が生まれ、日本という国の片隅で出会えたこと。生まれ、生きていること。それが奇跡以外のなにものでもないことを圧倒的な解像度で示す。

死を描くことは簡単じゃない。生きている人間は、誰ひとり自らの死を経験していない。死は苦痛、恐怖、暗闇、虚無、静止した時間、ゼロ、宇宙、永遠で表象される。死は想像の領域にあって、さまざまな補助線を引きながら、作為と偶然を駆使して表現される。雅彦が真冬にキャンプに行ったことは象徴的で、来たるべき死への予行演習を兼ねていた。救いもある。雅彦にはそばで支えてくれる家族がいるからだ。第7話が終わり、椎名家の問題が決着した本作はここからが本番である。ドンマイドンマイ!

(文=石河コウヘイ)

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