『忍びの家』なぜ国内外で大ヒット? マーケティング的なバランス感覚が成功の鍵に

Netflixのトップチャートで異変が起きた。日本をはじめ、インド、香港、タイを含む16の国と地域で、Netflix製作の日本のドラマシリーズ『忍びの家 House of Ninjas』が、「今日のシリーズTOP10」で1位を獲得したのだ。さらにはフランス、ドイツ、イタリア、アラブ首長国連邦、韓国、オーストラリアを含む46の国と地域でトップ3の座に輝き、92の国と地域で10位入りを果たしたという。主演とエグゼクティブ・プロデューサーの一人を務める賀来賢人は、大ヒットを記録したことについて、SNSで驚きとともに喜びを表している。(※)

本シリーズ『忍びの家 House of Ninjas』は、現代の日本を舞台に、長い歴史を持つ忍者の一家と、対立する忍者集団との熾烈な戦いが描かれる作品だ。キャストや脚本、撮影や美術など、多くの日本人によって製作される一方で、監督や音楽などではアメリカで活躍するクリエイターが参加している国際的な企画となっている。ここでは、そんな本シリーズのヒットの理由と、作品が何を表現しているのかを深いところまで掘っていきたい。

忍者一家を題材とした本シリーズには、賀来賢人をはじめ、小田原に住む「俵(たわら)家」の父・壮一(ソウイチ)役に江口洋介、母・陽子(ヨウコ)役に木村多江、長男・岳(ガク)役に高良健吾、長女・凪(ナギ)役に蒔田彩珠、三男・陸(リク)役に番家天嵩、そして祖母・タキ役に宮本信子という、豪華なキャストに加え、吉岡里帆、田口トモロヲ、柄本時生、嶋田久作、ピエール瀧、筒井真理子、山田孝之らが出演している。また、ゲストとして短い場面に出ている白石加代子の存在感も圧倒的だ。

しかし、海外の視聴者の大部分が、そういった日本のキャストの名前に惹かれて本シリーズを再生しているとは考えづらい。海外で大きく注目を集めたのだとすれば、また別のところに魅力を感じているはずなのだ。それは、紛れもなく“ニンジャ(忍者)”という題材に他ならないだろう。

日本の歴史、文化においてクールな存在として、海外でも根強い人気を誇る、諜報活動や暗殺などのプロとして闇に生きてきた“忍者”。これまで娯楽作品との繋がりが深かったといえる題材だ。映画においては、フランコ・ネロ、ショー・コスギ出演の『燃えよNINJA』(1981年)が、アメリカでの「ニンジャ・ブーム」を牽引したところがある。

最近も日本の忍者漫画『NARUTO ナルト』のハリウッド実写化の報が伝えられ、ゲームシリーズ『アサシン クリード』の最新作が、過去の日本を舞台に忍者が活躍する内容であることが分かるなど、海外の忍者人気は全く衰えを見せていない。そんな忍者人気の渦中に本シリーズが送り出され、しかもそれが本場といえる日本を舞台に、現地のキャストで映画作品のような映像のルックとクオリティを持っているのだから、耳目を集めるというのも道理だといえよう。

面白いのは、千葉真一主演のTVシリーズ『影の軍団』を想起させるようなアクションが展開する一方で、現代を舞台にコメディ色を押し出している部分もあるという点。忍びの技を受け継いだ家族たちが、家の瓦屋根の補修のために一足跳びで屋根の上へと移動したり、自動販売機のドリンク補充の仕事において投擲のコントロール能力を利用したりと、人並外れた力を現代の生活のなかで地味に活かしている部分がユーモラスだ。さらにLINEでの連絡やマッチングアプリを介した恋愛模様や不倫疑惑など、現代のテクノロジーが絡んだドラマが展開するのも今日的といえる。

このような設定は、『忍者ハットリくん』や『さすがの猿飛』など、現代を舞台にした忍者コメディがすでに確立している日本では、お馴染みの趣向だといえ、日本の脚本家陣にとって書きやすい内容といえるのではないか。そして海外の視聴者層においても、『スパイキッズ』シリーズや『Mr. & Mrs. スミス』、そして配信で容易に観られる『SPY×FAMILY』など、スパイ、暗殺者の家族コメディが楽しまれてきている土壌は用意されている。本シリーズはその“忍者版”として海外でも楽しみやすく、また目新しさもあるといった、好条件が揃っていたといえるのではないか。このあたりのマーケティング的なバランスに優れているところが、今回の成功に繋がっているはずである。

そして何より特徴的なのは、Netflixの提案によって、日本人のキャスト、スタッフを指揮するべくアメリカのデイヴ・ボイル監督が参加したという点だ。彼は日本語を学んでいて、アジア系キャストの作品を撮っているという点で、日本の作品を手がける適性は高いといえる。だが、この狙いはむしろ異質な部分をとり入れることで、本企画に新たな視点を加え、より広い市場で楽しまれるものにしたいという考えがあってのことだと考えられる。

それが最も表れているのが、音楽の面だ。本シリーズではシリーズの冒頭から、ストーリー上で重要な、運命のミッションが展開するのだが、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの「僕達の家」(1970年)のカヴァー曲として、アメリカ在住のミュージシャンTomo Nakayamaの優しい歌声が披露されるという、意外な趣向が用意されている。オープニングアニメーションでは、主題歌としてタイアップ曲が流れることもない。

さらには1960年代に結成された「ゾンビーズ」の曲が要所で多数使用されるとともに、戦闘シーンなどでもジョナサン・スナイプスによるソフトなテイストの劇伴があてられていて、アメリカの映画、ドラマの常識から見ても、意外性の多い仕事となっている。しかし、この日本人クリエイターや製作の常識からは出てこないだろう突飛ともいえる感覚が、本シリーズに強いオリジナリティと、ストーリー全体を俯瞰して包み込むような、抒情的な印象を付与することとなったといえる。

ストーリー自体について詳述することは避けるが、ここで注目したいのは、その設定部分についてだ。忍びの一家は、表向きには酒造を生業にしているが、不況の影響を受けて家計が厳しい状態。主人公の晴(はる)は、自販機のドリンク補充というハードワークを続けていて、残業も多い。母の陽子は忍びの技を持て余して日常的に万引きを繰り返している始末。これは、一家がある理由から忍者稼業から足を洗っていることが原因でもあるのだが、代々続くような日本の伝統が現代の価値観のなかで見捨てられ始めているという世相を暗示してもいるのだろう。

同時に描かれるのが、国民全体に経済、生活への不安が蔓延するなかで、カルト的な新興宗教が勢いを増していたり、政界の停滞がさらなる不況を呼んでいるという、日本社会の動きだ。そんな社会でひっそりと身を潜めて生きている“忍びの家”は、まさに日々の辛さに“忍んでいる”状態にあるのだ。そのように考えれば、いまの日本に暮らす多くの人々もまた、厳しい現実のなかで“忍んでいる”といえるだろう。つまり、日本の数多くの世帯は「忍びの家」だといえるし、われわれ一人ひとりも「忍びの者」といえるところかあるのではないか。

日本人は、世界の国々と比較すると、感情をあまり表に出さず、ルールを重んじる性質があるといわれる。そんな国民性の結果として、政府や社会に文句を言わずに、上からの圧力に唯々諾々と従うことで、全体が間違った方向に進んだとしても、簡単に変革できないといった見方をされることも少なくない。それは侍や忍者のように、どんな理不尽な命令にも、自分を殺して忍従することに美徳を感じるといった価値観が残存している部分もあるのではないか。

劇中で与党の総裁選に出馬している議員は、国民にこのように呼びかけている。「経済大国として列強に脅威とされていた時代は、もう終わりを告げているんです。ただ現状を受け入れて納得したフリをしていた。それは、衰退でしかありません」……ここには、日本の経済的停滞が国民の消極的な姿勢からもきているという指摘になっていると同時に、忍者たちの意識改革をも意味している。

本シリーズで描かれるクライマックスの展開では、そんな状況に反発し、“忍び”の思想を打ち崩そうとする流れが描かれていく。それは、恐ろしい変化であると見ることもできるし、一方で希望だとも理解することができる。その意味では、劇中で二分された忍者の集団は、日本に生きる分断された人々の象徴でもあるのだ。

現在の日本のドラマでは、日本の不況や国民の苦境にフォーカスするような作品は少数なのが現状だ。しかし、近年の韓国の映画『パラサイト 半地下の家族』(2019年)やドラマシリーズ『イカゲーム』が、自国の暗部を描いた内容で評価を高めていたり、日本の貧しい面を描いた『万引き家族』(2018年)がカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞するなど、むしろ対外的に見せたくないような、よそいきでない、ありのままの状況を見せることで、共感や感動を生む場合がある。本シリーズ『忍びの家 House of Ninjas』は、まさにそこを押さえているところにも、人気の一端があるといえるだろう。

参照
※ https://www.sankei.com/article/20240222-C7X7OBBRTZKEXME4IMVCPQ25V4/

(文=小野寺系)

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