理想のセカンドキャリアを見つけた64歳・元銀行員が語る「定年後への備え方」

<前編のあらすじ>

金子さんは銀行員として長く働いてきましたが、節目になる50歳を目前にしてセカンドキャリアについて考え、行動を始めました。関連会社での仕事は続けつつも関心のある領域での活動を探し、最終的にNPO活動と一般社団法人での活動に取り組むようになります。

どちらも趣味に関連した活動なので楽しく続けることができ、次第に運営スタッフとしても活躍していました。そんな中、本業でも全く新しい仕事がスタートすることとなりました。

●前編:【海外勤務から帰国した銀行員男性「何か考えなくては…」44歳で直面したキャリアへの迷いとは】

新しい仕事で実感した「謙虚さ」の重要性

50歳で銀行を退職し、そこから始まった関連会社での仕事は、今までの仕事の延長とも言える法人相手のコンサルティング業務でした。そこも59歳になり他の関連会社に移ることになります。

次の関連会社での新しい仕事はなんと、金子さんにとって今まで経験したことのないものになったのです。直接個人に販売をするスタッフのマネジメント業務でした。

販売スタッフにはパートの年配女性も多く、最初は戸惑いもありましたが、コミュニケーションを重視するように工夫していきました。中でも毎日スタッフへの声掛けと会話を心掛け、芸能人の話や世間話のネタを日頃から仕入れておくことが良い人間関係の構築のポイントとなったそうです。

「上から目線で接すると嫌われてしまうので謙虚さも大切だ」と実感し、ここでの仕事もまた良い経験になっているとのこと。現役時代とは違う部分の脳を使っていて、それが本業以外の活動にも大いに役立っているようです。

「理想のセカンドキャリア」を支えた経済的基盤

65歳以降のことは未定とのことですが、「求められれば続けていこう」と考えているそうです。本業の仕事にもやりがいを見つけら、プライベートでも楽しんでNPO法人や一般社団法人に関わっておられる金子さん。定年後の居場所を、定期的な収入のあるうちにボランティアという形で見つけました。

仕事は体力と相談しながら、勤務時間や形態を変えることもできるでしょうし、プライベートの活動も、運営スタッフとしても関われる状況ができています。65歳の節目を迎えても、複数の選択肢から進むべき道を選べるでしょう。まさに理想的なセカンドキャリア活動だと言えます。

ここでポイントとなるのは、長年のサラリーマン勤務により、ある程度の「経済的基盤」があったことです。65歳からは年金受給も選択できますし、必要以上にお金の心配をしなくて済む状況だからこそ、関心のあることに心置きなく打ち込めたのではないでしょうか。

金子さんが語る「定年後への備え方」

シニアにとっての喜びの1つである「人のためになっている」ことを実践し、人から必要とされているのは素晴らしいことです。金子さんはセカンドキャリアに向けた活動がうまくいく秘訣(ひけつ)を次のように語ってくれました。

「何か興味があるものがあれば取りあえずやってみたらいいですよ。やってみて自分に合わないと思ったら辞めたらいいんです。何回かするうちにしっくりくるものが見つかってきます。そしてやり始めてしばらくすると全体像が見えてきます。取りあえず始めてみることが大切ですね」

体験談から学ぶこと

・現役時代に好きな分野に関わる

現役のうちに何か興味がある分野、好きな分野に関係するNPO法人活動に関わることで定年後の自分の居場所が見つかることがあるので、まずは行動することが大切です。

・会社の経験を会社以外の場所でも活かす

会社の長年の仕事の中で培ってきた自分の強みは、会社以外の場所で活かすことも可能で、自己肯定感も高まり、自身の成長にもつながります。

・興味のある場所を見つけたら、継続して関わってみる

長くNPO活動を続けることで、いずれ運営側として深く関わっていけて、かけがえのない定年後の居場所作りができます。

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誰もが過去を振り返った時に「あの時が転機になったね」ということがあります。金子さんの場合は1枚のチラシがきっかけとなったように、始まりはささいなことかもしれないので、それを逃さないよう行動を始めることが大切ですね。

髙橋 伸典/セカンドキャリアコンサルタント・モチベーション総合研究所代表・東京定年男女の会主宰

1957年生まれ。57歳で早期退職するも、多くのつまずき、苦労を経験する。しかし試行錯誤を重ねることで乗り越え、リスクなく独立する道をつかみ取る。東京都主催の東京セカンドキャリア塾、各自治体などでセミナーを行う。雑誌やウェブメディアでは、セカンドキャリアに関する寄稿の実績多数。著書に「定年1年目の教科書」(日本能率協会マネジメントセンター)がある。

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