昭和なバッティングセンターで見つけた人生模様 かつての本塁打王は「背水の陣で遊んでいる」

多様な世代が通い、バットを振り込むバッティングセンター西山(長岡京市粟生)

 京都府長岡京市の町外れに約半世紀前から変わらぬ姿を保つバッティングセンターがある。古びたマシンに、昭和感の漂う店内-。長年、地域に親しまれる施設の1日に密着すると、白球を愛する人々の、人生の機微が浮かび上がってきた。

 バッティングセンター西山は、阪神ファンの前オーナーが1978年春にオープンした。現オーナーの春田康二さん(67)は「当時はボウリング場やバッティングセンターが最盛期。今と違い、結構売り上げもあったみたい」。元日以外は、午前9時から午後9時まで無休で営業する。

 午前9時20分、この日最初の客は京都市南区の清掃員田畑宏樹さん(48)。左打席でフルスイングを披露してくれた。「小学生の頃から野球は大好きや」。仕事が休みの日は必ずこの時間に訪れる。生活リズムに組み込まれているという。

 午前11時、京都市西京区の自営業西村武志さん(51)は、木製バットで打ち込んだ。昨年、野球部に入った息子は中学1年。難しい年頃だが、一緒にバッティングセンターに来たり野球漫画を親子で読み進めたりすると、会話が弾むという。味を占め、中学3年の長女と会話を増やそうとテニス漫画を買い込む。「家に漫画棚がどんどん増えています」と目尻を下げた。

 打席前方、高さ10メートル弱の位置には「ホームラン」の看板が設置されており、当たれば2回分無料だ。店内には本年度のホームランランキングを掲示する。

 午後0時、取材時点で本塁打王(51本)の男性(68)=京都市右京区=が店のガラス戸を開けた。定年退職した今は「暇さえあれば来ている」。プロ野球選手を輩出する名門の中央大野球部OBだが、レギュラーではなかった。「ここに来るのは現役時代にやりきれず、未練のある人たち。僕もそう」。小さくバットを構え、正確に110キロの球を捉える姿から、本塁打王の極意が垣間見えた。

 30分後、元本塁打王の水野民男さん(76)=京都市北区=が入ってきた。ユーチューブで打撃フォームを研究し、何歳になっても「目標を持って上達するのが面白い」。スキーにテニス、音楽、料理と多趣味だ。「人生、先がないと思わないと何事も一生懸命やれない。背水の陣で遊んでいる」と哲学を教わった。

 1プレイ(22球)200円は「お小遣いを持って来られるくらいの金額」(春田さん)。創業当時から変わらないという。夕方になると若者の姿が目立ち店内は活気に包まれる。

 午後6時半、父親と足を運んだ小学6年の男児(12)は、今春から硬式の野球チームに入るため、ここに来るのは今日が最後と決めていた。「ほんまにお世話になったんで寂しい」。打てずに悩んだ時期はほぼ毎日通い、1日20回プレイしたことも。「あと1回だけ」。名残惜しそうに何度も父親にねだり、打席に立つこと8回。176球を打ち込み、思い出の場所に別れを告げた。

 「ホームラーン」。この日初のアナウンスが響いたのは午後8時。打ったのは小学6年の女児(12)。30本の節目でも「もう慣れた」と余裕の表情だ。低学年の頃から妹とほぼ毎日通い、小学4年で120キロを打ち返せるようになった。中学では硬式野球に挑戦する。「高校でも野球は続けたい」とはにかむ。

 2018年9月、台風21号の暴風で巨大な支柱5本が折れた。春田さんの頭には閉店もよぎったが、常連客から「やってほしい」の声があり、数百万円をかけて修理したという。「東京からも来られる人もいて、皆さん思い入れを持ってくれてはります」。年季の入ったマシンは今も現役で稼働し続け、訪れる人たちを楽しませている。

アームが1回転する昔ながらのピッチングマシンが今も現役だ。故障や多少の不備もあるが、日々整備されて「他施設に比べてコントロールが正確」と話す客もいた
店内にびっしりと貼られている部員募集のポスター。週末、雨が降って練習がなくなった日には少年野球クラブの子たちが大勢で詰めかけることもあるそう
各打席の入り口上部には、本年度のホームラン数ランキングが掲示されている
午前9時半、最初の客たちがバッティングセンターに快音を響かせた
正午ごろ、週末の試合に向けてバッティング練習に励む男性たち
年季が入ったメダル投入機。ここで投球の高低や速さを調整できる
午後8時ごろ、若者が集まりだした店内

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