手作りの味、120年の歴史に幕 横浜・米菓子店「嵯峨乃家」29日閉店 街のシンボルに惜しむ声

29日に惜しまれつつ閉店する敷嶋あられ嵯峨乃家本店=27日、横浜市南区

 素材本来の味や食感を大切にしながら、地元住民らに愛されてきた創業120年余りの米菓子店「敷嶋あられ嵯峨乃家(さがのや)本店」(横浜市南区南吉田町)が29日に閉店する。厳選したもち米を原料に、継ぎ足してきたしょうゆで仕上げるあられやおかきは、熟練の職人による手作りにこだわって伝統の味を守り抜いてきたが、時代の波には逆らえず、一時代を築いた老舗が惜しまれながらのれんを下ろす。

 同店は1902(明治35)年に京都出身の初代、小野田安次郎が東京で「嵯峨乃家」を創業。翌年には横浜・福富町(現伊勢佐木町)に移転し、デパート「野沢屋」(閉店した横浜松坂屋の前身)に納品して名をはせた。戦禍で経営を一時中断した時期もあるが、51年に復員した2代目の小野田良司が現在地で店を再開し、横浜銘菓として人気を集めてきた。

 「しょうゆと米だから単純。うまさは原料と心の込め方」。あられへのこだわりは創業から変わらず、もち米は全国各地から取り寄せ、しょうゆも小豆島産などを選び抜いた。あられをいる際は、気候や湿度に合わせて職人が火加減を微調整してきた。全工程が手作業で、取締役営業部長の小野田雅之さん(42)は「職人たちのこだわりが細かな味につながったと思う」と胸を張る。その昔ながらの味は多くの人に愛され、横浜高島屋やJR新横浜駅の土産物屋などにも自慢の一品が並んでいた。

 しかし、そんな老舗も設備投資直後にまん延した新型コロナウイルス感染症の影響で、大口の取引先との契約が終了するなど経営が暗転した。「120年以上、地域に愛された味を守りたい」。従業員らは奔走し、銀行の融資も得られたが、職人の高齢化に加え、昨今の物価高騰で原材料も値上がりするなど経営の立て直しが困難となり、閉店の決断を今年1月に下した。

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