「日にち過ぎただけ」人影まばら、時が止まった被災地 「集落が消えてしまう」嘆く住民 能登地震2カ月

車庫にも家具を持ち込んで生活している坂本繁蔵さん=2月24日、輪島市町野町(撮影・中西幸大)

 ひしゃげた民家がそのまま残り、道路は土砂にふさがれている。水もまだ出ない。発生から2カ月。記者が歩いた能登半島地震の被災地は、地震のあった元日から時が止まっているかのようだった。生活再建のめどがたたず、遠くに避難した住民が戻ってくる兆しは見えない。人影まばらとなった町で、住民がつぶやいた。「このままでは集落が消えてしまう」

輪島に独り残る男性「復旧復興は年単位」

 石川県輪島市。山あいにある人口約2千人の町野町を歩いた。2階が1階を押しつぶすように崩れた民家が多く、木材や瓦が道に散乱している。市の中心部まで車で20分ほどだった海沿いの道は、土砂で寸断されたまま。山を抜ける遠回りのルートは復旧したが、1時間はかかる。

 坂本繁蔵さん(60)は地震後長らく、自宅の近くで車中泊を続けた。築36年の家屋は土台から10センチほどずれ、室内は家具やら物やらが倒れ、とても住めない。雨漏りする部屋もある。

 近くに住んでいた母(87)を兵庫県の伊丹市へ、妻(60)を長女の暮らす神戸に避難させた。自身は地元JAの職員。建物の保険契約や壊れた農機具などについての相談にのるため、被災者を訪ね歩く毎日だ。

 自宅だけでなく、母親宅は全壊、妻の実家も被害を受けた。自分がどうにかしてやらねばと思うが、家族の年齢を考えると、この土地での再建に踏ん切りがつかない。「何かしらこの土地に建てたいんだけど」。暮らしの拠点を神戸に移すことも頭をよぎる。

 電気が復旧し、坂本さんは1週間前からがれきを片付けた一室で寝起きするようになった。ただドアは閉まらず、風が入ってくる。断水は続き、雨水をためてトイレに使う生活。食事は買い置きの米やレトルト品、畑の野菜でしのぐ。

 市外に避難したままの住民も多い。「(この集落にある)60軒ほどのうち、今も自宅付近に残るのは10軒くらいじゃないか」。住宅再建に時間がかかれば、避難先にとどまり生活を立て直す人も増えるだろう。「市内全体でみれば復旧復興は年単位の話になる。そのとき、町野に何人戻ってくるんでしょうね」。坂本さんは悲しげにうつむいた。

珠洲の85歳、仮設に入居希望も見通せず

 珠洲市役所から東へ約2キロ。海に面した野々江町でも似た声を聞いた。

 街道沿いに並ぶ民家の多くは損壊、車は走っているものの人は少ない。「隣の空き家が倒れてきてね」。避難先の小学校から全壊した自宅の片付けに戻っていた女性(85)が話す。

 女性は「年齢もあるし、家を建て直すかわからん」とぽつり。かといって地元は離れたくない。金沢市に住む長男、長女から転居を促されたが「そんなもん行かんて。1、2週間じゃないんや。住み慣れた所がいいがいね」

 周囲には、地元での生活再建に見切りをつけた人もいるという。「海もあって便利もいいし、本当はいいところなんがいね」

 内閣府によると、珠洲市内での仮設住宅の建設は1月12日から始まり、2月末時点で90戸の完成が見込まれる。女性も入居を希望しているが、いつになるのか分からない。市が懸命にやってくれているのは理解しているが、先の見えない暮らしに不安は募るばかり。

 女性は言った。

 「2カ月、ただ日にちが過ぎただけやった」。(篠原拓真)

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