自転車の頃(3月1日)

 風のようだったと言われたらしい。作家津村記久子さんの自転車だ。高校通学時、登校する生徒を次々と追い抜くのが常だった(「自転車の頃」)。「早く、遠くまで行ける」は、念願の宝物を手に入れた少年少女の共通の思いだった▼朝、必死になって学校に向かう自転車の高校生が近ごろ少なくなった―との声が聞こえてくる。新型コロナが原因らしい。一時、わが子を気遣う保護者が車で送迎、それが常態化したとの見方がある。通学の足としての自転車の存在感は健在とはいえ、県南の高校の中には送迎の渋滞が発生するところも▼「毎日、片道20キロを往復したよ」とかつての高校生が教師になって得意げに明かす。体力を消耗した坂の上り下りを3年間、よくぞやり通した、そんな思いをにじませながら。きょう1日は多くの県立高で卒業式。自宅と学校を結んだ自転車通学の、出発点と到着点が終わる日だ▼<なぜ私たちは年齢を重ねるのか。(中略)出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ>。角田光代さんの小説「対岸の彼女」にある。新しい道をゆく自転車は、春に走らせたい。自分の足でどこまでも行ける、そんな思いと一緒に。<2024.3・1>

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