実家全壊、見慣れた砂浜一変 故郷輪島の被災を直視した警察官 避難した父の暮らしは、復興の行方は

能登半島地震の被災地に記録係として派遣された兵庫県警警部補の葛西智広さん。一変した故郷の町でカメラを構える=2月9日、石川県輪島市(県警提供)

 能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市出身の兵庫県警警部補、葛西智広さん(41)=同県西宮市=が、県警の支援部隊の一員として被災した故郷に派遣された。高校まで過ごした自宅は全壊。見慣れた山並みは崩れ、道路は途切れ、海水浴を楽しんだ浜辺は岩がむき出しになっていた。避難生活を送る父の思いにも触れ、「故郷の復興を信じているが、『全てが元に戻ることはない』という不安も大きい」と漏らす。

 「被災地の状況を理解するには、自分の目で見て、感じることが大切だと思った」

 2月1日から10日間にわたって輪島市などで活動した兵庫県警の「緊急災害警備隊」。後方支援の記録係として派遣要員に立候補した経緯を葛西さんが振り返る。

 輪島市出身で、高校まで地元で過ごした。大学で大阪に出て、2005年に兵庫県警へ。実家には父春樹さん(70)が1人で暮らし、姉の橋本歩さん(43)は結婚して市内の別の場所に居を構えていた。

 能登半島が激しい揺れに襲われたとき、春樹さんは新年のあいさつで歩さん宅を訪れていた。階段が崩れるなど室内の被害は大きかったが、骨組みは辛うじて残り、みな無事だった。

 春樹さんと歩さん家族は、津波を警戒して高台へと逃れ、その後はワゴンタイプのマイカーで2週間ほど過ごした。左半身が不自由で、耳も遠い春樹さんのため、避難所に身を寄せるよりも柔軟に対応できると考えたという。

 歩さんとの電話で状況を伝え聞いていた葛西さんは、休みをとって戻ろうかとも思った。だが、道路は寸断されている。自分が滞在することで、現地で貴重な食料や水、ガソリンを消費する可能性もあり、踏み切れなかった。

 県警の緊急災害警備隊が新たに派遣されると知ったのは、そんな時だった。

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 現地に入った葛西さんは、3人グループで災害活動用車両に乗り込み、被災地の状況を把握する任務に就いた。活動2日目、実家のそばを通りかかった。周辺の家屋は、ほとんどが壊れていた。

 派遣に当たり、上司からは「プライベートとの切り分けは難しいだろうが、おまえが見たもの全てが被災地の記録になるのだから、柔軟に考えたらいい」と言われていた。車両を止めてもらい、一人、がれきの合間をぬっていく。

 生まれ育った木造2階建てが見えた。畳敷きの居間や仏間、台所があった1階がつぶれていた。上から押し込む形になった2階部分も、傾き、ひしゃげている。

 「あー…、なくなったんだなあ…」。歩さんから全壊と伝え聞いてはいた。それでも、崩れ落ちた姿を目の当たりにして空虚な気持ちが広がった。

 滞在は5分ほど。わずかではあったが、警察官としてではなく、一人の人間として過ごした時間だったという。

 「自分の目で見た、という事実が重要だ」「自分だけが悲しいわけではない」。自らに言い聞かせ、同僚が待つ車両へと戻った。

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 葛西さんが被災地に滞在していたとき、春樹さんや歩さん家族は、金沢市内に逃れていた。任務の都合などで面会することはかなわなかったが、電話でやりとりした。

 「輪島に戻る。家を建て直してまた輪島で暮らす」

 春樹さんは、葛西さんが戻ってきたことへの受け止めもそこそこに、そう繰り返したという。復興の見通しがたたず、「まだ現実的ではない」と伝えても、故郷での生活にこだわった。

 会話の中で、春樹さんが言った。「海を1回、見に行ったらいい。生まれ育った地元がどうなったんか、自分で見たらいいわ」

 まっさきに浮かんだ「海」が、小中学生の頃の思い出の場所である袖ケ浜。夏になれば、毎日のように自転車をこいで向かい、海水浴を楽しんだ。

 任務の一環で立ち寄る機会があった。弧を描くように広がっていた美しい砂浜に、岩がむき出しになっていた。地震による隆起の影響なのだろうか、懐かしいはずの風景は一変していた。

 春樹さんに連絡をとると、「すごかったやろう。もう、どうにもならんわ」とまくし立ててきた。葛西さんは、その声が怒気をはらんでいるように聞こえた。

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 「はい、警察相談係です」

 派遣を終えた葛西さんは、住民の意見や苦情に電話などで対応する県民広報課での日常業務に戻った。フロアの壁には、派遣に合わせて同僚が張り出した能登半島の地図がある。

 10日間の滞在を通じ、故郷を離れて暮らす一人の警察官としての意識も強まったという葛西さん。「地元出身の警察官が、言葉だけではなく、実際に現地で活動したことに意義があったのだと思う」と話す。

 兵庫での生活を送りながらも、引き続き歩さんらと定期的に連絡を取り合っている。その近況によれば、歩さん家族も春樹さんも、金沢市内で物件を借りて暮らすことになりそうだという。

 葛西さんが、父の思いを推し量る。「すぐに輪島に戻れないということは、理解しているはず。でも、自分の居場所は輪島にある、最期は輪島で迎えると強く信じているのでしょう」

 それでも、できれば前を向いて生きてほしい。まだ、70歳。今は渋々かもしれないけれど、新しい環境に早く慣れて、新しい自分を見つけてほしい-。

 故郷の被災状況を自分の目で見て、復興まで長い長い時間がかかると実感したからこそ、そう願う。 (小川 晶)

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