朝市ピアノ、希望奏でて 所有校長、輪島高玄関設置

朝市通りから移設されたピアノの演奏を楽しむ生徒と平野校長(左)=4日午後0時40分、輪島高

  ●設置家屋、大火ぎりぎり免れ

  ●誰でも自由に

 能登半島地震で大規模火災が発生した輪島市の朝市通り周辺の民家から4日、1台のグランドピアノが運び出された。一帯は大部分が焼け野原となったものの、ピアノが置かれていた家屋は、ぎりぎりのところで延焼を免れた。所有者である輪島高の平野敏校長(59)は大火を逃れたピアノを学校に移し、誰でも自由に弾けるようにと玄関に設置。生徒や体育館で避難生活を送る被災者に、癒やしのメロディーを届けた。

 ピアノがあった家は、朝市通り西側を流れる河原田川沿いに立っており、約40年前から平野校長の両親が住んでいた。校長によると、周囲は2軒隣の家屋まで炎に包まれ、通りを挟んで向かい側の寺も全焼したが、両親の家までは火の手が及ばなかった。

 ただ、激しい揺れで1階の柱が折れた家屋は隣家にもたれかかっており、解体することに。平野校長は運よく無事だったピアノを別の場所で活用できないかと考え、輪島市内の小中学校計7校が利用する輪島高に移そうと決めた。

 校舎の音楽室にはピアノがあるため、生徒らが好きな時に弾ける「校内ストリートピアノ」として玄関フロアの一角に設置することにした。4日、ピアノは分解されて家屋から運び出され、焼け野原となったままの朝市通りを通って輪島高に届けられた。

 ピアノが到着すると、さっそく、女子生徒らが集まって代わる代わる演奏を楽しんだ。

 小学校2年の時からピアノを習っている輪島高2年の大向喜子さん(17)は「自由に弾けるピアノがなかったのでうれしい。春休みも通いたい」と笑顔。同級生の田端晴菜さん(17)は「小学生の子どもたちとも一緒に楽しみたい」とうれしそうに話した。

 平野校長によると、ピアノは長女の沙希子さん(27)が4歳の頃に購入した。次女未郷さん(25)、三女古都美さん(23)と受け継がれてきたが、近年は使われずに眠っていた。

 平野校長は「多くの人に弾いてもらってピアノも喜んでいるはず。不便な思いをしている人に少しでも楽しんでもらえたらうれしい」と語った。

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