【3.11から13年/あなたを忘れない】働く背中で導いた祖母 面影胸に海辺で生きる 福島県いわき市

久太郎さんと洋子さんの写真を見ながら2人の思い出を振り返る早苗さん

 福島県いわき市平薄磯の鈴木久太郎さん=当時(69)=、洋子さん=当時(70)=夫妻は東日本大震災で、自宅から車で逃げる途中で津波にのまれた。久太郎さんは遺体で見つかったが、洋子さんは13年になる今も戻らない。「ばあちゃんが見つからないのに、地元を離れられない」。孫の高村早苗さん(37)は祖父母と暮らした実家のそばに新居を構え、夫や子どもと暮らす。幼かった自分を導いてくれた、帰らぬ祖母の面影を太平洋の水面に探している。

 一家は久太郎さん夫妻と長男夫妻、孫の早苗さんらの7人暮らしだった。洋子さんは海に面した自宅で「民宿すずき」を切り盛りし、宿泊の受け付けから料理、配膳までほぼ1人でこなした。建設会社に勤める久太郎さんは仕事の合間に宿を手伝った。夏場は海水浴客や運動合宿の高校生ら、年末には忘年会でにぎわった。洋子さんの気さくな人柄と新鮮な海の幸が多くの人を引きつけた。

 早苗さんの両親は共働きで忙しく、早苗さんと弟は祖父母に育てられた。洋子さんは早苗さんを背負って宿の厨房(ちゅうぼう)に立ち、授業参観に出てくれた。中学時代は弁当も作ってくれた。甘い卵焼きが好きだった。

 早苗さんは思春期の夏休み、好奇心から髪を染めたことがある。「学校が始まる前には戻しなよ」。洋子さんは頭ごなしに叱らず、静かに諭してくれた。「やんちゃだった私を優しくたしなめてくれた」と懐かしむ。

 「結婚するなら仕事を一生懸命頑張る人を選ぶんだよ」。20代前半だったころに洋子さんに言われた。働き者の祖母らしい助言が耳に残った。

 2011(平成23)年3月11日。久太郎さんと洋子さんは自宅、早苗さんは市内平の職場にいた。夫妻は愛犬2匹を軽ワゴン車に乗せて高台に急いだが、迫る津波から逃げられなかった。久太郎さんの遺体はほどなく、海岸近くで愛犬と一緒に見つかった。

 物静かで穏やかな性格の久太郎さんは、民宿が暇な時期には洋子さんをドライブに誘った。夫婦にとって車中で過ごす時間はつかの間の息抜き、何よりの楽しみだった。そんな2人を黒い波が引き裂いた。

 早苗さんは祖母の教え通り仕事熱心な夫と10年ほど前に結ばれた。小学3年の長男、幼稚園に通う長女と幸せな人生を送っている。避難のため一時は薄磯を離れたが、洋子さんへの思いは薄れなかった。実家から約200メートル離れた土地を求め、4年前に家を建てた。

 洋子さんとよく散歩した海岸も近い。わが子を連れて磯の香りを浴びると、亡き人の記憶や思い出が込み上げる。「骨のかけらでも見つからない限り気持ちの整理はつかない」と思う一方、「せめてもの供養に」と祖母との思い出や、避難の大切さを子どもに語り聞かせている。ばあちゃん、育ててくれてありがとね―。洋子さんに直接伝えたかった言葉を胸に。

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