「若気の至りだった」希代の名守護神ブッフォンが過去の罪を告白。「なかでもあの偽装は、最も恥ずべき過ちだ」

イタリアが誇る名GKであり、現在はイタリア代表のチームコーディネーターを務めるジャンルイジ・ブッフォンが先ごろ、30年間心に秘め続けてきたある罪について、初めて自らの口で語った。

北イタリアの町ビエッラで不定期に開催されるイベント『Campione sotto le stelle(星の下のチャンピオン)』では、毎回スポーツ界のレジェンドがゲストに招かれ、公の場でさまざまな質問に答える。サッカー界からはこれまでアンドリー・シェフチェンコ、ファビオ・カンナバーロ、チロ・フェッラーラ、ハビエル・サネッティ、元審判のピエルルイジ・コッリーナなどが招かれている。

そして2月、ゲストに招かれたブッフォンは、そのキャリアや引退後の話などさまざまなことを語る中で、人生におけるある大きな汚点を告白した。

かつてブッフォンには2つの夢があった。ひとつはもちろんプロのサッカー選手になること。そしてもうひとつは弁護士になることだった。長い間ゴールを死守してきたブッフォンだが、「困難に直面している人々を自身の手で守りたい」という夢を、子どもの頃から抱いていたという。

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実際、若かりし頃のブッフォンはサッカー選手としての夢を追いながら、大学の法学部に入ることを目指していた。

しかし18歳当時の彼は、すでにパルマに所属し、勉強する時間などそもそもなく、加えて単位が足りず高校卒業もままならない状況だった。そこでブッフォンは、ローマにあるアントニオ・マニエリという私立学校の会計科を修了したという卒業証書と成績証明書を偽装。そして、首尾よく大学入学を果たしたのである。

だが、後に偽であったことが発覚。ローマの学校も「我が校にブッフォンが通った事実はない」と否定し、結局ブッフォンは公文書偽装の罪に問われ、2001年、当時の金額で600万リラ(約48万円)の罰金が科せられた。ちなみに大学は3年のときに落第、すでに退学していた。

「俺はこれまで多くの過ちを犯してきた。特に若い時にはね。若気の至りだった。なかでもあの偽装は、最も恥ずべき過ちだ。絶対に犯してはならない大きな過ちだ。無責任もいいところだよ」

ブッフォンは大きな後悔を抱えているようだった。

「ズルをして最短ルートを進む――それは間違っている。俺は近道に価値を見出す人間ではなかったはずだ。それなのに……」

なぜ今、ブッフォンはこの話を打ち明けたのか。その理由をこう明かす。

「自分の過去の過ちを、自分の不完全さを告白することで、みんなとの距離が締まると思った。そしてそのうえで、こんなメッセージを送りたかった。システムの穴を見つけて得をしようと考えるのは間違ってる。そこに価値はない。何年後か、いつかはわからないけど、ある日、それは必ず自分に返ってくる。過ちは犯せば、必ず最後にそのつけを支払わされることになるんだ」

文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子

【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/1963年8月29日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。ジャーナリストとし中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材した後、社会学としてサッカーを研究。スポーツジャーナリストに転身する。8か国語を操る語学力を駆使し、世界中を飛び回って現場を取材。多数のメディアで活躍する。FIFAの広報担当なども務め、ジーコやカフー、ドゥンガなどとの親交も厚い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授として大学で教鞭も執っている。

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