<レスリング>福田富昭・名誉会長の旭日中綬章の受章祝賀会に約170人

日本協会の福田富昭・名誉会長(前会長)の旭日中綬章の受章祝賀会が3月5日、東京・明治記念館で行われ、森喜朗・元総理大臣らの国会議員、スポンサー企業代表、友人、スポーツ関係者、協会関係者ら約170人が集まり、功績をたたえた。

▲各界から約170人が集まり、福田富昭名誉会長の功績をお祝いした

開会に先立ち、今年1月1日に発生した能登半島地震にふれ、被災された方々を見舞うとともに、1日も早い復旧を祈願。本協会では被災地支援金の受付をしていることを紹介し、復興を祈った。

会では主催者を代表して本協会の富山英明会長が「パリまで会長をやってほしいと思ったが、『いつまでやらせるんだ。オレを殺す気か』と言われ、あきらめました。名誉会長とは50年にわたるつきあい。自分のためではなく、人のために動く人。元気で100歳まで生きると思うので、今後も指導をお願いしたい」とあいさつ。

▲主催の日本協会を代表して富山英明会長があいさつ

来賓の先頭を切って野田聖子衆議院議員が祝辞を述べた。名誉会長とは30数年前に初当選したときに知り合い、以来、支えてもらったと言う。福田名誉会長を「トミー」と呼ぶことも披露し、「福田富昭がいなければ、女子のレスリング・オリンピック・チャンピオンは生まれなかったと思う」と、女性に勇気を与えてくれたことに感謝の言葉を述べた。

▲国会議員の先頭を切って野田聖子議員があいさつ。当初は森・元総理大臣だったが、「女性の時代だから」とトップを託された

7人出席した現元の国会議員の最後に、森・元総理大臣が立ち、「きょうの福田さんは光り輝いている」と話すと、名誉会長は頭をさわり、会場は大爆笑と拍手。東京オリンピック招致へ努力してくれたことや、地元・石川ではレスリング出身の馳浩知事が復興に向けて全力を尽くしていることを話し、「すばらしい後輩をたくさんつくっている。本当に100歳まで頑張ってほしい」と、功績をたたえた。

真由美夫人とともに出席した福田名誉会長は、2人の孫から花束を受け取り、「皆様に支えられて、今日まで来ました。この何倍もの人に支えられています。会場の関係で招待できませんでしたが、その方々へも深く感謝します。これからも、ご支援をお願いします」と謝辞を述べ、さらなる支援をお願いした。引き出物のひとつに、一等賞金1,500万円の宝くじ10枚があり、福田名誉会長は「1,500万円が当たったら、すぐに連絡ください」と会場を笑わせた。

スクリーンに「日本レスリングの栄光の歴史」の動画と、福田名誉会長の選手時代からの写真が映し出され、その功績があらためて紹介された。

▲東京オリンピック招致などで共に闘った森喜朗・元総理大臣のあいさつ

同名誉会長は富山・滑川高時代にレスリングを始め、1964年東京オリンピック出場は逃したが、翌65年の世界選手権で優勝。1970年に協会理事に就任し、1984年ロサンゼルス・オリンピックの男子フリースタイルの監督へ。教え子の現・富山会長を優勝させ肩車をした。

1996年に国際レスリング連盟(FILA=現UWW)の理事となり、2002年に副会長へ。この間の1999年に日本協会の専務理事となり、2003年から会長へ。日本オリンピック委員会(JOC)の役職もにない、2004年アテネ・オリンピックで日本選手団の総監督、2008年北京オリンピックではレスリング界から初の日本選手団団長を務めた。

その後も、2020年東京オリンピックの招致(2021年に延期)や、レスリングがオリンピック競技から除外の危機に対応するなどした。会長任期中のオリンピックではすべてで金メダルを取らせ、16個に及んでいる。

叙勲は、以前から話があったが、辞退を続けていた。会長職を退いたことで栄誉を受けることとし、昨年11月、旭日中綬章(国や公共に対する功績を称える勲章)を受章した。

▲出席された現元の国会議員の方々と記念撮影

▲友人代表あいさつの今泉雄策・前副会長は、福田名誉会長が幼少の頃に亡くした父親の遺影をいつも持っていることを披露

▲乾杯の発声は篠沢恭助・元大蔵事務次官

▲2人の孫から花束を受け取る福田富昭・名誉会長夫妻

▲謝辞を述べる福田富昭名誉会長

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