父に「出ていけ」と怒鳴られ…家出同然に実家を出た男が24年ぶりに帰省した理由

2体並ぶマネキンの角度が気に食わない。春樹は1度構えていたスマホをスーツジャケットのポケットへしまい、スーツとコートを着込んだマネキンの角度を調整する。数センチ、いや数ミリという微妙な角度を感性を頼りに整えると、再び離れてマネキンへスマホを向ける。

まあこんなもんだろう。シャッターを押す。写真は店長を務める紳士服店の、明日からの初売りセールに向けたSNS投稿用だった。

「店長ー。レジ金オッケーでした。そろそろ店閉めちゃっても大丈夫ですか?」

「ああ、うん。もうこんな時間か」

後輩社員の益田に声を掛けられて、春樹は腕時計を見た。時計の針は18時を回ろうとしている。

普段は20時まで営業している店も大みそかは閉店が早い。みんな早めに家に帰り、こたつにでも入りながら紅白を見てそばを食べるのだから、当然と言えば当然だった。

「早く閉めるくらいなら、もうちょっと思い切って店休にしてくれてもいいんすけどねー」

「確かになぁ。仕事納め即仕事始めだもんな。毎年のことだけど、全然納まった気がしねえ」

「ほんとっすよ。元旦くらい買い物なんかしないで家でのんびりしてくれよって」

益田がレジを落とし、春樹は店内の照明を消す。暗くなった店内はそれまでのまばゆさを忘れたように、あたりの夜へと静かに紛れていく。

2人はスーツの上からコートを羽織り、マフラーを巻き、店をあとにする。いつもと変わらず、また15、6時間後には見る景色でも、今年もこれで終わりだと思うと、少しだけ感慨深いような気もする。

「店長、今日もワン缶行きますか?」

「いやいや、お前、嫁さんは? さすがに今日くらい帰ったほうがいいんじゃない?」

「うちの嫁、今2人目妊娠してるでしょ。1人目が大変だったこともあって、無理しないでいいからって嫁の両親が昨日からウチに来てんですよ。なんか気ぃ遣うし、家族水入らずでどうぞっていう俺の配慮ですね」

益田は笑っていた。3年前に結婚し、もう2人目の子供の出産を控えている益田と違い、春樹は42歳になっても独身で、家に自分の帰りを待つ人もいない。きっと益田の誘いは、そんな春樹を気遣っての配慮でもあったのだろう。

「じゃあ、ワン缶すっか」

と、春樹はその気遣いに甘えておくことにした。

ワン缶のあたたかさ

店の売り上げがよかった日も、悪かった日も、棚卸しで遅くなった日も、こうして帰り道に一缶だけのちょい飲みをするのが、春樹たちの習慣だった。

いつものように駅前のコンビニに寄って酒を買い、バスロータリーの端にある喫煙所へと向かう。それぞれたばこに火をつけ、深く煙を吐いたところで缶ビールを開ける。冬の澄んだ空気に、栓を開けた炭酸の、小気味のいい音が響いて消える。

「そういえば、店長は実家とか帰んないんですか?」

「んー、帰んないかな。仕事あるし、家族仲もそんなにいいわけじゃないし」

「そうなんすね。まあ、この仕事だとまとまった休みも取りづらいっすもんね。俺もしょっちゅう帰って来ないのかって聞かれるんですけど、いざ帰るってなると面倒くさくて」

益田は笑って言った。

聞いてくるだけましだよ。春樹は思わず口を突いて出そうになった言葉を、口先の笑みで曖昧に濁し、アルコールで胃のなかへと流し込む。いつの間にか灰に変わっていたたばこが崩れ、革靴のつま先を白く汚した。

さすがに長引かないよう早々に解散し、春樹は帰路に着いた。寒空の下を歩いているとなんだか物足りなくなって、駅と家のあいだにあるコンビニでビールとハイボールといくつかつまみを買い込んだ。

家についてテレビをつけると、各地の年越し模様が生中継されている。あと2時間もすれば新しい1年がやってくる。そのことが、春樹には自分とは関係のない遠い世界のことのように思えた。

画面が切り替わって次に映ったのは春樹の地元に近い町だった。雪が積もるなか、除夜の鐘を鳴らすお坊さんの姿が流れている。

その光景が、春樹のおぼろげな記憶と重なる。まだ父との関係がまともだったとき、1度だけ似たような雰囲気の神社に家族で初詣に向かったことがあった。

「あのとき飲まされた甘酒、マズかったよなぁ」

酔っているのだろう。春樹はぼんやりした頭に浮かんだ言葉をそのままつぶやいて、ハイボールを流し込む。

一度思い出してしまった記憶は、芋づる式に次から次へと呼び起こされていった。

田舎を捨てた過去

ずっと田舎が嫌いだった。でも何が嫌いだったのか言われると答えには困る。ただ何となく都会への漠然とした憧れがあって、自分の居場所はここじゃないんだと思っていた。

だから高校卒業と同時に、都内の専門学校へ行くと親に言った。学ぶものは何でもよく、とにかく田舎から出ることが目的だった。きっと父はそんな春樹の魂胆を見透かしていたのだろう。決して首を縦には振らなかった。当然、春樹は父親とけんかになった。

「ふざけんな! こんな田舎で何しろってんだよ」

「そんなてきとうな態度で東京に行ってうまくいくわけねえ! 頭冷やしやがれ!」

あとは売り言葉に買い言葉だった。

勝手なことを言うなら出ていけと怒鳴る父に、春樹はこんな家俺のほうから出て行ってやるとたんかを切った。以来本当に実家には一度も帰っておらず、この年を迎えている。

父は職人かたぎの厳格な人だった。お調子者だが真面目だった兄と違い、春樹は幾度となく父と衝突を繰り返した。殴られたことだって一度や二度では済まされない。

春樹も年を取ったということだろうか。20年以上も会っていない父はあれからどうしているのだろうかと、ほんの少しだけ感傷的な気分になった。

兄からの知らせ

いつの間にか眠っていたらしく、気がつくと年を越していた。飲みかけの缶を倒したらしく、テーブルの上がビールまみれになっていた。

春樹は頭痛のする頭を支えながら立ち上がり、ティッシュを無造作に抜いてテーブルを拭く。時間は朝の5時。片づけてシャワーを浴びて仕事の準備をしなければ、と思った。

どこかでスマホが振動する音が聞こえた。こんな朝方に誰だよと思いながらも、春樹はスマホを探した。スマホは床とカーペットのあいだに挟まっていた。手に取ったスマホを確認して、春樹はまだ自分が寝ぼけているのかもしれないと目をこする。

着信は実家で家業の畳屋を継いでいる兄の芳樹からだった。

もしかすると俺と同じように酔っていて、間違い電話をかけてきているのかもしれない。スマホを握ったまましばらく放置していると鳴りやんだので、そう思って脱衣所へ向かうと、兄からの着信で再びスマホが鳴った。春樹はけげんさを抱えたまま緑の通話ボタンをタップする。

「はい……」

「はいってなんだよ、はいって」

芳樹の第一声は笑い声だった。兄や母とはたまに電話やメールでやり取りをすることがあったので、それほどひさしぶりという感じはなかったが、声はいくらか疲れているように聞こえた。

「なんだよ、年明け早々から」

「なあ、春樹。お前さ、今年はなんとか都合つけて帰ってこられんの?」

これまで要らぬ心配で連絡をよこすことはあったが、兄も母も一度も春樹に帰ってこいとは言ったことがなかった。だから春樹のけげんさはますます深まった。

「何言ってんの。どうしたんだよ」

春樹がやや声を尖(とが)らせて言うと、芳樹は黙り込んだ。春樹は息を吐き、続く言葉を待つ。

「……おやじのことなんだけどな、もう今年が最後の年越しになるかもしれねえんだ」

「は?」

芳樹は父がガンであることを話した。春樹は黙って聞いていた。ガンが見つかったときにはすでに全身に転移していて回復の見込みがないこと。治療で入院するよりも家で過ごすことを選んだこと。余命があと半年もないこと。春樹は芳樹の言葉をうまく飲み込むことができなかった。

「だから帰ってこないか? 今はまだ、おやじも話せるし、お前にも会いたいと思うんだよ、春樹」

「……ちょっと待ってくれ」

すぐには答えることができなかった。春樹は深く息を吐いてバスルームに閉じこもる。

けだるい身体の上を流れていくシャワーの水は、いつもより少しだけぬるい気がした。

●突然の知らせに心の整理がつかない春樹。父と和解することはできるのか? 後編24年前に決別した父が末期がんに…実家へ駆けつけたアラフォー男が見た“信じられない”光景】にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。 マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

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