「30年先を見ていた」戦友も感嘆する松木安太郎の先見性「急ぎ過ぎたところはあったかもしれないね」

元日本代表の松木安太郎氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。ともにヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で一時代を築いた都並敏史氏、柱谷哲二氏、北澤豪氏と、Jリーグ創成期に目ざしていたチーム作りについて語った。

【動画】元ヴェルディ戦士の“同窓会”
ヴェルディはJリーグが開幕した1993年と94年に、リーグ戦とカップ戦の二冠を達成。当時のサッカーは大きく分けて組織を重視するヨーロッパ型と、個人技を活かしたブラジル型の構図だったが、監督だった松木氏は、その融合を目ざしていたという。

「今は、どこの国でもブラジル人とヨーロッパ人が一緒に良いプレーをしながらチーム作りをしているのが当たり前。ちょっと贅沢だったかもしれないけど、それを目ざしていた。答えとして日本のベースになってくる。できると思っていた」

この考えに北澤氏は「30年先を見ていた」と感嘆する。

また松木氏は、海外の若手有望株を安価で獲得し、大成後に高価で送り出すというクラブ運営の実現も目論んでいた。

テスト生の中には、後に南アフリカ代表の主将となる当時17歳のマーク・フィッシュがいたという。結果的に、クラブの方針で契約は見送られたが、松木氏はこう振り返る。

「急ぎ過ぎたところはあったかもしれないね。当時から思っていた。良い選手を育てて出していく。安い選手を買ってきて、高く売る。現実を考えると日本の選手がそうなっている。他の国のチームも全部やっている。そのベースになる部分では、残念だった」

都並氏は「そういう深い思惑があった。聞いて良かった」と感心した。

現在は名物サッカー解説者として活躍する松木氏は、先見性も秀逸だったようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

© 日本スポーツ企画出版社