原発事故ですべての窯元が避難した「大堀相馬焼」に新しい動きです。伝統を受け継ぎ、産地復活を目指す挑戦を続ける窯元が、13年ぶりに福島県浪江町に戻り、制作活動を再開しました。
「大堀相馬焼・陶吉郎窯」。原発事故で避難を余儀なくされましたが、13年ぶりに陶器を焼く窯がふるさとに戻ってきました。
陶吉郎窯・近藤学さん「これが原点でしょ」
「青ひび」と「走り駒」が特徴の大堀相馬焼。旧相馬藩の「浪江町大堀地区」で藩の特産物として普及し、300年以上の伝統を誇ります。
しかし、原発事故の影響で20数軒の窯元はすべて避難。「陶吉郎窯」も、ふるさとを離れて制作活動を続けました。
「伝統を継承するにはやっぱり…」
窯元の近藤学さんは、6年前、「終の住処」を求め、いわき市四倉町に移り制作を続けていましたが…。
近藤学さん「大堀相馬焼の伝統を継承するのには、やっぱりいわきではだめだよねというような思いはずっと思っていた」
そんな中、去年届いた避難指示解除の知らせに心が動きました。
近藤さん「自分がずっと大堀、大堀と思っていたというのもあって、じゃあ大堀に戻ろうと」
13年ぶりに「大堀」に再建された「陶吉郎窯」。窯元の建物は、一部を除いて取り壊され、新しくなりました。
近藤さん「和風な感じということで設計の方にお願いしたので、そんな感じに仕上がったなと今眺めていました。和風な感じ。だからどこにどれを置こうというのがこれは本当に悩ましい」
そんな近藤さんがここに飾りたいと思っている、新たな作品がありました。
近藤さん「大堀相馬焼と会津塗、会津漆器とのコラボ作品を何とか形にしたいなと思って」
焼いた陶器の上に漆で文様を描く「陶胎(とうたい)漆器」という技法です。
近藤さん「新たな「大堀陶胎漆器」として提案したいなと。かっこいいという感じの馬と、ちょっとかわいいという感じの馬と。より多くのみなさんにファンになってもらいたいなという思いもあって」
13年ぶり、大堀で制作
2月20日、近藤さんの旧友でもある大堀相馬焼の職人、根本清己さんが作品を作るため、13年ぶりに訪れました。震災前から使っている設計図をもとに、大きさや形を細かく相談します。
大堀相馬焼職人・根本清己さん「わくわくしますね。見慣れた風景はいいね、落ち着いて。それが一番だ。13年ぶり、感慨深いものがあります」
さっそく、工房でろくろを回し、制作活動再開です。
根本さん「ここでやっぱり見慣れた景色、10何年前屯所があったなとか、あそこは駐在所だなとか見る。それだけでも違うから」
しかし、根本さんにとって13年間の年月は長かったと感じています。
根本さん「南相馬に来て6年ぐらいになるのかな、あそこに定着する前に帰ってきていいよってなったら南相馬には家は建てなかった」
大堀相馬焼の窯元周辺の一部は、今年、特定帰還居住区域に認定され、住民の帰還に向けた準備が始まります。こうした中、13年ぶりにふるさとの窯元に戻った近藤さんの表情は穏やかです。
近藤さん「自分では自覚はないが、なんか全然違和感がない。それは違和感があるわけはないんだよね、ここにずっといたわけだから」
「何年経っても美化なんかできない」
近藤さんは、これまでの人との出会いは「宝」だといい、13年間を振り返ります。
近藤さん「やっぱりつらいといったらここを突然出ろと言われて、今までの13年間じゃないですか。なんだかんだ言ったって避難生活だからね。絶対原発事故と避難生活というのは何年経っても美化なんかできない。あんなことは二度とあってはいけない」
そんな近藤さんには伝統を継承する上での強い気持ちと目標があります。
近藤さん「やっぱりここに来て私が起点となって、後継者育成とかできれば、他の大堀相馬焼の同業者の方が戻ってくるとか、やっぱり産地形成、これがもう目標です。そのためのまさに今は第一歩」
近藤さんは、また新たな一歩を踏み出しました。
近藤さん「大堀は原点。私の原点でもあって、大堀相馬焼の伝統継承の一番の原点・肝ですよ、大堀でなければできないと思っています」
大堀相馬焼の産地復活のため、「原点」に戻った近藤さんの挑戦が、これから再び始まります。
近藤さんは当面、いわき市四倉町の拠点と浪江町の大堀地区を行ったり来たりしながら活動を続けることにしていて、大堀相馬焼の展示場なども備えた浪江町の窯元のグランドオープンは、今年6月ごろを目指しているということです。