【震災13年 小峰城石垣修復】白河発の知見を生かす(3月9日)

 清水門復元が話題となり、華やぐ白河市の国史跡・小峰城跡は、東日本大震災で石垣が大規模崩落した。国は小峰城での取り組みを、自然災害による文化財石垣修復の成功事例と評価する。修復で得られた知見は、熊本城や丸亀城、そして能登半島地震で一部崩落した金沢城の修復にも生かされている。震災を経て得られた白河発の知的成果が、全国の歴史遺産の復旧に果たす役割に注目したい。

 小峰城は寛永6(1629)年から4年をかけて丹羽長重が築いた。震災では現存する約2キロの石垣のうち10カ所で崩落し、6カ所が大きくたわむ被害を受けた。震災での最大の文化財被害と位置付けられた。

 修復では、崩落した石垣の石一つ一つに「カルテ」が作成された。各個に通し番号、形状や重量、崩落後に見つかった場所などを記した。たわんだ部分の石についても作成され、カルテの数は約1万3千に及んだ。震災前の写真データを基に、崩落前の石の場所を特定し、江戸時代の工法による復元に役立てた。

 それまで崩落石垣の復旧は原状回復を最優先に、土木工事として行われてきた。小峰城で方針が変更された点が意義深い。また、震災発生7カ月前に国史跡指定を受け財政支援が期待できたこと、「どんなに時間がかかっても、歴史に忠実な姿に戻す」と市が決断したことが、8年間に及ぶ作業を可能にした。

 2016(平成28)年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の石垣復旧でも、小峰城の知見が生きた。白河市の担当者が被害発生直後に現地を訪れ、文化財としての石垣保存の初動の在り方と、石のカルテ作りを助言した。2018年の西日本豪雨などを原因とした香川県の丸亀城の石垣被害では、丸亀市職員が白河市を訪れ、修復に関する説明を受けた。金沢城の石垣崩落では白河市の担当者が現地の調査研究所を訪ね、初動対応のノウハウを伝え、意見を交換している。

 小峰城の石垣修復は2019年3月に完了した。「遠回りしたことで、貴重な知見を得られた」と市の担当者は振り返る。自らを鼓舞し、膨大な作業に挑んだ関係者と、粘り強く応援した市民との協働の成果だと、末永く伝えられるべきだろう。(広瀬昌和)

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