さよなら「特急銀座」北陸線 15日、石川県内ラストラン

ラストランを終えた特急「雷鳥」=2011(平成23)年3月11日午後8時31分、JR金沢駅

  ●旅行や仕事、帰省、それぞれに思い出

 北陸新幹線の敦賀延伸まで一週間を切った。延伸と同時に特急「サンダーバード」と「しらさぎ」は敦賀止まりとなり、北陸線を走った特急が石川県内から消える。北陸線は国鉄時代から「特急銀座」と呼ばれるほど、特急列車の運行本数・種類ともに豊富で、旅行やビジネス、帰省など多彩な場面で活躍した。人それぞれに思い出があり、15日のラストランを前に「寂しい」と声が上がる。

 小松駅のほど近く、土居原町の公園に、かつて北陸と東京・大阪を結ぶ特急に使われた車両が展示されている。赤とクリーム色の「国鉄色」に塗られ、スタイルは、昔懐かしい「ボンネット型」だ。管理するのは、その名も「ボンネット型特急電車保存会」の岩谷淳平事務局長(48)=小松市下牧町=である。

 岩谷さんにとって原風景の一つは、小学校に入って間もないころ、JR粟津駅近くの線路際にある母方祖父の家で見た「雷鳥」「しらさぎ」「白鳥」など北陸線の特急だ。

  ●駅員に感心され

 まだ漢字が分からず、祖父や兄に聞いて「雷鳥は大阪行き、しらさぎは名古屋、白鳥は青森…」と教えてもらった。その知識を駅員に披露すると「よく知ってるね」と感心され「すごく鉄道好きな子がいる」とかわいがられた。

 岩谷さんは、懐かしの特急が石川県内から消えることに「自分たちの時代じゃなくなったのかな…」とポツリ。だが往年の特急に郷愁を覚える人は多く、「思い出を追体験できる施設」としてボンネット型特急を大事に管理していくつもりだ。

 北陸線の特急は「家族の絆」を結ぶ列車でもある。内灘町大根布4丁目の潟渕幸子さん(75)は、昨年亡くなった夫が名古屋市に単身赴任していたころ「しらさぎ」に乗って月1回会いに行った。最も思い出深い列車だ。「金沢駅から乗り込む時はいつもワクワクしていた。寂しくなります」と惜しむ。

 津幡町清水の宮一正樹さん(80)は60年前、金沢―富山間で雷鳥の試乗会に参加した。呉羽山のトンネルを抜けた瞬間に見えた北アルプスが目に焼きつき「あの大パノラマは忘れられない」と振り返る。

  ●大阪延伸、絶対見たい

 北國銀行出身で、現在は新家工業常務の浜田哲洋さん(64)=七尾市出身、大阪市在住=は慶大時代に「国鉄全線2万キロ」を完全乗車した。能登に親がいるので、今もサンダーバードを年20回以上利用する。

 「仕方ない話だが、今の駅はどこもほとんど同じで…」。かつては金沢駅に行くと個性豊かな特急たちに出合えたが、その風景もなくなる。キオスクはコンビニに変わった。「便利になった証しでもあるが、昔の名残がなくなるのは惜しいです」

 子ども時代に出てきた北陸新幹線の構想が実現し、敦賀まで延伸する。「うれしいことはうれしい。ただ、この年齢になると、北陸新幹線が大阪まで延びるのを見られるかな…と考えたりもする。でも絶対に見たい」。時代によって姿は変われど、鉄道は昔も今も、これからも、人々の夢をかき立てる。

小松市内を走行する「サンダーバード」=2月15日、JR小松駅付近

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