二つの「故郷」に元気を 能登と東北の温かさに触れ

打撃のイメージについて須江監督(右)に教えを請う徳田さん=宮城県多賀城市の仙台育英高

  ●志賀出身徳田さん、仙台育英高で野球励む

 帰省中の元日に能登半島地震で被災した仙台育英高野球部1年の徳田英汰さん(16)=志賀町富来地頭町出身=が、東北の地で「日本一」をめざして練習に励んでいる。ふるさとを襲った大災害に一時はぼうぜんとしながら、「自分のできることをやる」と気持ちを切り替えた。11日で東日本大震災から13年。能登と東北、被災した二つのふるさとの人たちを「いつか自分のプレーで元気づけたい」と願い、白球を追う。(編集委員・坂内良明)

 富来中出身の徳田さんは、投手と外野手を務める。須江航監督(40)の人柄や指導力にひかれ、全国屈指の強豪、仙台育英高の門をたたいた。

  ●帰省中に被災、母の激励受け戻る

 昨年末に能登へ帰省し、元日は七尾市田鶴浜の母方の実家で、親戚の集まりに加わっていた。ソファで居眠りしていた時に、大きな揺れに襲われた。「起きた瞬間、何事か分からなかった。家の壁が崩れ、外へ出たら、道路が大変なことになっていた」

 その日のうちに両親、兄と志賀町の実家に戻った。上下水道を担当する町職員の父敦史さん(56)はすぐに役場へ登庁し、残る3人は避難所に身を寄せた。

 その時の徳田さんの様子を、母正美さん(51)は「病気なのか、と周りに心配されるくらい、ずっと寝ていた。ショックを受け入れたくないとか、これからどうしようとか、いろんな思いがあったんだろう」と振り返る。

 そんな徳田さんに、正美さんは「自分のできることを精いっぱいやりなさい」と声を掛けた。その言葉で徳田さんは「野球を全力でやろう、頑張るしかない」と心を決め、5日に仙台へ戻って練習を始めた。

 須江監督は「能登の震災は決して人ごとではない」と語る。東日本大震災の当時、系列校の秀光中を指導していた。金沢と珠洲の指導者の招きで、震災後初めて部員が集まり、野球をしたのが石川だった。「温かいご飯も風呂も本当にありがたかった」と今も感謝を忘れていないという。

  ●部で募金活動

 野球部は2月、能登への義援金を呼び掛ける街頭募金を行った。全部員44人が仙台市の中心商店街で声を張り上げると、100万円以上が集まった。徳田さんは「宮城の人は温かい。みんな能登を思ってくれているんだな、と改めて感じた」と話す。

  ●11日は震災学習の日

 「3.11」の時、徳田さんは3歳で、記憶はない。仙台に住んでから、当時の映像を見たり周りの話を聞いたりして、大震災の詳細を知った。「こんなことが本当に起きるんだ」と驚くばかりだった。

 11日は野球部の「震災学習の日」だ。2018年以来ほぼ毎年、全部員で被災地に足を運んでいる。今年は、石巻市で行われる追悼のつどいで灯籠づくりのボランティアに取り組み、津波で多くの児童が犠牲になった同市大川小で、語り部の言葉に耳を傾ける。徳田さんは「日々を本気で過ごしていこうと思う」と語った。

© 株式会社北國新聞社