「島原の生き字引」 郷土史家の松尾さんが1日死去 初代島原藩主の顕彰など尽力 長崎

自著「島原まちを創ったひと」を手にする松尾卓次さん=2023年12月26日、島原市役所

 島原城専門員で、400年前に同城を築いた初代島原藩主・松倉重政公の顕彰や、日米親善人形を通じた平和学習などに尽力した長崎県島原市の郷土史家、松尾卓次さんが1日、老衰のため88歳で亡くなった。「島原の生き字引」として、ふるさとの魅力を温かな語り口で紹介し、晩年も歴史探究への情熱は衰えることがなかった。各界から功績をたたえ、惜しむ声が寄せられている。
 1935年島原市生まれ。県内の中学校で社会科教諭として働き、95年に同市立第二中校長を最後に定年退職。同市文化財保護審議会長や松倉重政公報恩法要実行委員会の代表も務め、「おはなし島原の歴史」「島原街道を行く」など数々の歴史書を執筆した。
 昨年11月には島原城築城400年を記念して重政公ら郷土の偉人を紹介する市民向けの「私家版 島原まちを創ったひと」(B5判、108ページ)を出版。「(1世紀後の)500年も続くまちをつくって子どもたちに引き継いでいきたい」と語っていた。300部発行し、100部を島原半島内の図書館と市内の小中学校に寄贈する。巻末には、夫婦2人で歩んだ島原への思いを込めた自作の詩「このまち」を収めている。
 同著を発行した「自由空間きた田文庫」を主宰する北田貴子さん(56)=同市=は「松尾先生は、島原の歴史のほんの一部分を私たちは預かっているだけといつもおっしゃっていた。『街道をゆく』(司馬遼太郎著)で重政公があまりに冷酷に描かれていることに心を痛め、島原の基礎をつくった先人の功績を調べ、伝えようと奮闘されてきた。大きな羅針盤を失ってしまった」と涙ぐんだ。
 松尾さんは、戦前の米国から日本に贈られた日米親善人形の一つで同市立島原第一小に残っている「リトル・メリー」の紙芝居も2005年に制作。同校元校長で同市教育長の堀口達也さん(62)は「島原の歴史とともに、平和の尊さについても穏やかで優しいお人柄そのままの言葉で伝えてくださった。島原の子どもに今も読み継がれています」としのんだ。
 島原城を運営する島原観光ビューローの市瀬一馬社長(54)は今年1月上旬、島原城で松尾さんから「いよいよ400周年だね。お互い、頑張ろうね」と声をかけられたという。「島原の歴史について、ガイドやラジオでも紹介してくださった。島原の観光振興にも大きな役割を果たしていただいた」と追悼した。
 妻の久子さん(83)によると、松尾さんは1月中旬に体調を崩し、島原病院に入院。病床でも「まだ書き残すことがある」と口述筆記できるタブレット端末を購入し、同27日には病身をおして島原図書館の「郷土史を学ぼう会」で講師を務めたという。
 

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