家族で帰省中に震度7の地震が…!停電、断水、孤立の危機…初めて震災を経験した子どもたちとの日々【能登半島地震体験談】

地震前の自宅周辺の風景

年明け早々、能登半島で起こった大規模な地震。私は夫と7歳(小1)の長男、4歳(年少)の次男とともに珠洲市の実家に帰省中に被災しました。停電、断水した中での子どもたちとの生活、大震災を経験して学んだことなどをお届けします。

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当たり前が当たり前ではなくなった瞬間

2024年1月1日の16時過ぎ。私の母は夕飯の準備、私はジグソーパズルで暇つぶし、夫と長男はテレビ観賞、父と次男は年賀状を出すために車で外出しているときでした。突然大きな揺れにおそわれ、家にいた私たち4人はとっさにテーブルの下へ。家がミシミシと音をたて、テレビや照明が消え、ガラスの割れる音が響き、揺れている時間がとてつもなく長く感じられました。幸い家にいた4人にケガはなく、揺れが一旦収まったタイミングで貴重品とスーツケースを持ち、急いで外に飛び出しました。

離れた場所での被災…父と次男の安否は

外に出てスマホを確認すると最大震度7の文字。父と次男の姿が見えず、電話もつながらず、一気に不安が押し寄せました。どうすることもできずにソワソワしていると、いつもと違う道から走ってくる父の車が目に入りました。到着後すぐに次男を抱きかかえると、泣いてはいないもののガタガタと震えている状態。父に話をきくと、「もうすぐ家に着くというところで、車が大きく揺れて目の前に土砂が崩れてきた。引き返そうと思ったら後ろでも土砂崩れが起きていて、次男の顔がひきつった。車1台がギリギリ通れるスペースがあり、なんとか帰ってこれた。」とのことでした。

残された道は1本…孤立の危機

家族の無事が確認できて安心したのも束の間、実家周辺で土砂崩れや地面の隆起が起きていて道路が使えなくなっていることを知らされます。避難所へ行くために残されていたのは、実家から200mほど離れた場所にある橋がかかっている道のみ。家の前で車中泊をすることも考えましたが、余震で橋が崩れると孤立してしまうおそれがあったため、橋の向こう側にある避難所へ向かうことにしました。実家から避難所までの距離は約4km。とりあえず避難所へ行けば安心だと思っていましたが、大通りに出てみると道路状況が想像以上にひどく、避難所にはたどり着けませんでした。そのためこの日は結局、実家と避難所の中間地点にある道の駅で車中泊をすることになりました。初めての車中泊、そのうえ停電していて外は真っ暗。子どもたちは大丈夫だろうかと心配していましたが、2人とも毛布にくるまって朝までぐっすり眠っていました。

翌日からは実家で過ごすことに

翌朝、自宅に戻った両親から「橋は大丈夫そう。トイレとストーブの準備も整ったよ。」と連絡があり、私たちも実家に戻ることにしました。断水、停電していたものの、トイレはバケツ1杯分の水があれば手動で流すことができるとのこと。実家には下水道が通っておらず浄化槽を設置しているため、断水時でも排水ができるということをこのとき初めて知りました。

食料についても、お正月で大量に作り置きや食材があったので、しばらくの間は問題なし。ただ電子レンジやIH調理器などは使えないため、石油ストーブの上で温めたり、カセットコンロを使って調理したりしていました。食器にはラップを巻き、コップや箸は使い捨てのものを使って断水生活を乗り切りました。

お風呂も入れませんでしたが、冬場で汗をほとんどかかないこともあり、子どもたちにも肌荒れなどのトラブルは起きず。着替えがあまりなかったので、汚れが気になったときにのみ着替えるようにしていました。

子どもの過ごし方

余震がくるたびに怖がっていた次男も、2~3日でだんだん慣れてきたようで、いつも通りに過ごせるようになりました。幸い長男もストレスを抱えている様子はなく、不自由な生活の中でも自分なりに楽しみを見つけて過ごせていたように思います。トイレで使う雨水を溜めたり雪を溶かしたりするのを積極的に手伝ってくれたこともありました。普段は暗い場所が苦手な2人ですが、日が落ちてからも怖がることはなく、夜中に泣いたりすることもありませんでした。

子どもたちがそんな様子だったので、私自身も育児に対してはストレスを感じることがあまりなく…。意識していたことといえば、晴れている日は外でご飯を食べたり、散歩をしたりして気分転換できるようにしたことくらいです。父が食事の準備などをしてくれたので、落ち着いて子どもたちと向き合うことができました。

発災から6日目…急遽自宅へ戻れることに

地震が起きてから6日目。あと2日ほど珠洲に滞在する予定でしたが、翌日から大雨の予報で土砂災害特別警戒区域に指定されている実家で過ごすのは危険と判断し、急遽自宅へ戻ることになりました。そして断水、停電が長引きそうなことから、病院で寝泊りしながら働く母を珠洲に残し、父はそのまま私の自宅で避難生活を送ることに。実家から自宅までは普段は2時間ほどの道のりですが、このときは6時間ほどかかりました。とはいえ数日前まで10時間以上かかっていたことを思うと、昼夜を問わず復旧作業を行ってくださっている方々には感謝しかありません。

2人で「地震ごっこ」…自宅に戻ってからの子どもの様子

自宅に戻ってからも子どもたちにとくに変わった様子はありませんでした。ただ、防災無線やスマホの緊急地震速報のまねをしたり、マットを揺らして「地震ごっこ」をしたりして遊ぶことが多くなりました。地震に限らず、以前から経験したことを何でもまねして遊ぶことが多かったので、私自身はそれほど気にならず…。ですが父は気になっていたようで、保健師さんに会ったときに相談すると「そのまま見守ってあげて大丈夫」と言われたとのことでした。

直後は地震が起こったときの状況を話したがらなかった次男も、ふとしたときに自分から話すようになりました。2人ともうまく消化できているのか、小学校や保育園でもとくにトラブルなどはなく、地震前と変わらない様子で生活できているように思います。

被災して学んだこと

初めて震災を経験して感じたことは、ありきたりですが「備えておくことの大切さ」です。これまでも大規模な災害が各地で起こっていましたが、どこか他人事でわが家はほとんど備えていませんでした。今回は実家での被災ということもあり、断水、停電した中でもあまり不自由なく過ごせましたが、もし自宅で被災していたら…と思うとゾッとします。今回の経験から、わが家で備えておきたいものをリストアップしてみました。

・防災バッグ(今回はスーツケースに荷物がまとめてあって助かった)
・飲食料
・ポリタンク(給水車は来てくれるが容器は持参する必要があるため)
・乾電池
・乾電池式のモバイルバッテリー
・非常用トイレ
・ウェットティッシュ
・食品用ラップ
・割りばし、紙コップ
・石油ストーブ、灯油
・カセットコンロ、ボンベ
・体拭きタオル、ドライシャンプー
・ラジオ
・懐中電灯
・おもちゃ
・お菓子

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今回子どもたちが過度に不安にならなかったのは、備えがある実家での被災で大人が堂々としていられたということも関係あるのではと感じています。今後自宅で被災したときも子どもたちを不安にさせることがないように、防災対策をしっかり行いたいと思います。

●記事の内容は2024年3月の情報で、現在と異なる場合があります。

mayu

3歳差兄弟のワンオペ育児に奮闘している主婦ライター。臨床検査技師として、たまーに人間ドックや健康診断のお手伝いもしています。自然豊かで、のびのび遊べる珠洲が大好き♪ 好きな言葉は「なんとかなる」です。

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