栄華を極めたタイソンの悲劇的なKO負けも...興行面では大成功。34年ぶりの“ドーム決戦”は井上尚弥にどんな付加価値をもたらすのか?

ボクシング界の至宝・井上尚弥が“ドーム進出”を果たす。

バンタム級に続きスーパー・バンタム級でも主要4団体王座統一を成し遂げた井上。初防衛戦として決まったのが5月6日のルイス・ネリ戦だ。会場は東京ドーム。同会場でのボクシング興行開催は、実に34年ぶりとなる。

34年前の東京ドームで行なわれたのは、マイク・タイソンvsジェームズ・バスター・ダグラスの世界ヘビー級タイトルマッチだ。1990年2月11日のことである。

3団体統一王者のタイソンは37戦全勝にして33KO。まさに無敵の状態だった。

ヘビー級としては小兵ながらスピードと連打は圧倒的。日本でも外国人ボクサーとしては異例の人気を誇った。特にボクシングに興味がなくてもタイソンは知っている、そんな状況だ。ダグラス戦も、2度目の日本での試合。前回(トニー・タッブス戦/88年3月)も東京ドームが満員になった。

相手は無名のダグラス。ボクシングファンの注目は、むしろその後に予定されていたイベンダー・ホリフィールド戦に向いていたと言ってもいい。

絶頂期のタイソン自身にとっても、ダグラスは特に意識する相手ではなかったのだろう。来日するとバラエティ番組に出演するなど、とても試合前のボクサーとは思えなかった。タイソンに寄り添うプロモーター、ドン・キングの独特なヘアスタイルを覚えている人も多いだろう。

スパーリングではダウンも喫しているタイソン。栄華を極め、生活自体が荒れていた。そういう中で行なわれたドーム決戦。タイソンは序盤から精彩を欠く。8ラウンドにダウンを奪ったものの、9ラウンドにダグラスの猛反撃を食らう。そして10ラウンド、マットに崩れた。口から外れたマウスピースを探る姿は、それまでの活躍ぶりからすると信じられないほど悲劇的だった。

キャリア初黒星にして衝撃的KO。ここからマイク・タイソンというファイターのイメージも大きく変わっていくことになる。ともあれ興行的には大成功だ。タイソン初の敗北という点で歴史に残るドーム興行にもなった。ちなみにこの大会では、前座試合にデビュー2戦目の辰吉丈一郎が出場している。彼が世界タイトルを獲得するのは翌年のことだ。 あれから34年。プロレスでは毎年1月4日、“イッテンヨン”の新日本プロレス・東京ドーム大会が恒例になっている。今回の井上vsネリ戦も「34年ぶりにドームでボクシング」ということ自体が話題だ。
それだけ、東京ドームという会場に“ブランド”があるのだ。これまで井上の試合が行なわれた会場を意識したファンはそれほどいなかっただろう。だがドームはジャイアンツのホームグラウンドであり、タイソンが敗れ、アントニオ猪木が引退し、那須川天心と武尊が雌雄を決し、旧K-1のグランプリ決勝大会も行なわれてきた。いやファイトスポーツに限らず、さまざまなコンサートで東京ドームに行った、映像を見たという人も多いだろう。

東京ドームで試合をすることで、井上尚弥という名前はさらに一般層にまで知れ渡っていくのではないか。すでに2階級で4団体統一という偉業を達成している井上だが、この試合をきっかけに、その存在がさらに大きくなる可能性がある。そこにドームの意味もある。

しかもネリは日本のボクシングファンにとって“大ヒール”だ。2017年、山中慎介との対戦は勝利したもののドーピング検査で陽性反応。翌年のリマッチは大幅な体重超過となり、その上で行なわれた試合で山中を倒している。この事態に、JBCは無期限活動停止処分を下した。

そして、処分が解除されての井上vsネリだ。ヒーローがヒールを“制裁”するのか――。その分かりやすい構図まで含めて一般層に届け得るのが“ドーム級”のスケールなのかもしれない。

文●橋本宗洋

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