日頃の「交流」は災害時の力に 地域住民とイベント 被災地に職員派遣も 岩手・大船渡市の社会福祉法人【復興への羅針盤】

「福祉」分野での東日本大震災の経験と教訓を未来へつなぎ、新たな災害を見据えて地域住民や県外の施設との交流に力を入れる社会福祉法人が、岩手県大船渡市にあります。

大船渡市赤崎町の後ノ入(のちのいり)地区です。
この地区では月に一度、地域の高齢者と子どもたちの交流イベントが開かれています。
この日は、かまどを使ってご飯を炊いたほか、味噌づくりも行いました。

(高齢者)
「何よりも子どもたちに教えるのはいいね。みんな喜んで聞くから。昔のことを」
(子ども)
「食べ物の作り方がわかるし面白いなと思いました」
「お年寄りの人とお話できて楽しいです」

交流会の会場として使われている「赤崎ホッとハウス」は、社会福祉法人「典人会」が東日本大震災発生2年後の2013年、運営する高齢者施設の敷地内に建設しました。
あの日、津波で一時的に孤立した後ノ入地区では、多くの地域の住民が高齢者施設に避難しました。
交流会を企画・運営し典人会の施設で所長を務める河原明洋さんは当時をこう振り返ります。

(河原明洋さん)
「震災当日はですね、おそらく電気も電灯数個しかなかったんですけども、教室から廊下、リビングまで全部含めるとおそらく200人以上はいたと思いますね」

孤立した地域の高齢者施設は住民と協力して何とか避難所と介護サービスを両立させていましたが、海沿いの別の施設からの避難で介護が必要な高齢者も増え、職員もギリギリの状態でした。
福祉と介護の知識をもった人が初めて応援に入ったのは、発災から1週間後の3月18日のことでした。
典人会の内出幸美理事長はこの日のことを忘れることはないと話します。

(内出幸美理事長)
「人手というよりはこの方たちが私たちと同じ空気を吸ってくれる。一緒に過ごしてくれる。その心強さっていうんでしょうかね。それが一番大きかったと思います」

この経験から内出理事長は、「被災地にいち早く駆け付ける福祉分野の人材が必要」と、DCAT=災害介護派遣チームを設立。熊本地震や北海道胆振東部地震、そして今年1月に発生した能登半島地震の被災地にもスタッフを派遣しました。
実は東日本大震災の際、3月18日に最も早く駆け付けたのは、震災前から交流があったという石川県の福祉施設のチームでした。

(内出理事長)
「いやこれはもう本当に私たちが行かなければいけないっていうことで、1月2日に出発ということになりました」

典人会DCATには県内の他の施設からの応援も加わって、派遣するスタッフが交代しながら石川県での活動を続けています。

災害時に鍵となる日ごろからの「交流」。
10年ほど前に始まった後ノ入地区の交流会は、地域の住民と典人会の絆の象徴でもあります。

(地域住民)
「ここで避難して寝泊まりした方々も結構おったんです。本当にこの施設には助けられたんです」

(河原明洋さん)
「東日本大震災で地域の皆さんに支えらえて避難生活を、過酷ではあったんですけども、地域の方々と一緒に乗り越えたというところで、壁がなくなって、今こうして地域の方々と仲良くさせていただいてるというような感じです」

また交流会は、子どもたちに震災の経験と教訓を伝える場にもなっています。
枯れたスギの葉をかまどの焚きつけ材に活用するなど、13年前に避難生活で役立てられた生きる知恵が、子どもたちに受け継がれています。

(内出理事長)
「かまどでご飯を炊こうとか、それから味噌を作ってちゃんと貯蓄しようとかですね。災害に強いっていうだけじゃなくて、ここ後ノ入で生きるっていうことが実現できるっていうことが、みんな自信を持つと思うんです」

「いただきます」

震災の経験と教訓を伝えながら新たな災害に備えて。典人会の「交流」はこれからも続きます。

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