橋幸夫さん、78歳で念願の大学生に!「学び続ける限り、人生に引退なし」

昭和歌謡の大スター、橋幸夫さんは、昨年、80歳をもってきっぱり歌手活動から引退。現在は、なんと大学生になり、「書画」という芸術にチャレンジ。「命ある限り夢をもって学びたい」……、新たな道を歩む橋さんの「学び」の極意とは?

PROFILE
タレント、アーティスト
橋 幸夫さん

はし・ゆきお●1943年、東京都生まれ。
60年に「潮来笠」でデビュー。62年「いつでも夢を」、66年「霧氷」で二度日本レコード大賞を受賞し、歌謡界のトップスターに。
俳優としても時代劇などで活躍。
2023年、80歳をもって歌手を引退。
22年4月に京都芸術大学通信教育部書画コースに入学。書と絵画を体系的に学んでいる。

高校生活を満足に送れなかったから「学びたい」という思いがずっとあった

「私にとって本日は人生最高の出来事の一つです。(中略)新しい夢と人生のスタートを切れることに、今、心のわくわく感と喜びを感じております」

2022年4月3日、橋幸夫さんは京都芸術大学の入学式で新入生代表として壇上に立ち、こう述べた。黒紋付の第一礼服を身にまとっての、風格ある立ち居振る舞い。スターのオーラを放ちつつも、挨拶の言葉は新入生らしい希望に満ちていた。

「入学の辞は、僕の素直な気持ち。大学に入るなんて、叶うことなき夢だと思っていましたからね」

と橋さんは、若き日に思いを馳せる。高校2年生で歌手デビューしてヒットを連発。瞬く間に人気歌手となり、多忙なスケジュールに追われ高校にはほとんど行けなかった。

「学校生活を送れなくなり、青春の思い出があまり残っていない寂しさを後々まで感じていました。さらにその先の大学で学ぶということへの興味や憧れもあった」と言う。

「それが80歳を目前にして、叶うことなき夢が実現し、感無量でした」

大学入学の半年前、橋さんは大きな決断を下す。60年以上に及ぶ歌手活動にピリオドを打つことを発表したのだ。

「会見でもお話ししましたが、歌手引退の一番の理由は、声帯の衰えです。数年前から、歌っていて低音部になると急に声が出にくい、喉がガラガラするといった自覚症状がありまして。声専門のお医者さんに診ていただいたら、声帯とその周りの筋肉の衰えを指摘されました。専門的な訓練やケアをしても以前の状態に戻すのは難しいと言われまして。老化には抗えない部分もある。歌手としての寿命がきたと実感したのです」

声量豊かで、艶のある伸びやかな美声。歌手・橋幸夫のパフォーマンスを届けられなくなったら引き際、と自ら区切りをつけた。

「もちろんそこに至るまでは悩みましたよ。ステージに立てば、『潮来笠』や『いつでも夢を』といった楽曲を、観客の皆さんは笑顔で一緒に歌い、ときに涙を浮かべる方もいらっしゃる。そういうお顔を見ると気持ちが揺れます。それで所属事務所の社長とも相談し、僕が80歳を迎える23年の5月を引退日と決め、最後の締めくくりのコンサートツアーを、全国119カ所で行うことにしたのです」

歌手引退は新たな道の門出

同時に、橋さんは引退後の新たな道を考えていた。

「引退は門出でもある。『いつかはやりたい』と思っていたことに挑戦しようと。それが『書』でした」

橋さんは、若い頃から書道に親しんできた。そもそも芸能人はファンからサインを求められて一筆書く機会が多い。人気歌手の橋さんのところには1000枚単位の色紙が積まれることもあったという。

「僕は9人きょうだいの末っ子ですが、24歳上の年長の兄が非常に達筆でね。僕が『潮来笠』でデビューしたときの着物の前身頃に入れた橋幸夫という文字も、兄が毛筆で書いてくれたものでした。

僕のサインも最初は兄が考えて、その字を手本に僕は真似して書いていたんです。昔は毛筆でサインを書くことも多かったから、『兄貴のように上手に書きたい』と。そしてサインは、受け取ったファンの方が大切にお持ちになるものだから、『思い出になるようなサインを書かなければ』と考えるようになって。

それで僕は仕事の合間をぬって書道を習っていたのです。最初は楷書を。ただ、当時は忙しくてね、じっくり取り組むことはできませんでした」

やがて橋さんは、キャレモジという墨のアートに興味を広げる。

「キャレとは、フランス語で、心地よい中庭という意味。それに日本語の『文字』を合わせた造語です。墨で風景を作るように自由に文字を描くんです。これを先生に習うたび、墨で描くことの面白さや表現の奥深さを知り、ハマっていきました」

墨で描くアート、キャレモジ。この作品は「心」。「書は心の文字、と書道の先生に教わった。一筆一筆心を込めて描いています」(橋さん)
この作品は「道」。「歌手生活の63年間に感謝して、これからの道は自分で決める、という僕の思いを込めて」

探求心と向上心は衰えない

引退を発表して以降、「大学で学びたい」という思いを周囲に語っていた橋さんの耳には、大学に関するいろいろな情報が入ってきた。

「僕は書道に加え、子どもの頃から絵を描くのが好きでね。芸能界に入ってから油絵を習っていた時期もあります。だから芸術大学の通信コースがいいんじゃないかと友人が教えてくれて。通信教育であれば大学に毎日行かなくても、家にいながらリモートで学べる。そうか、そういう方法があるなら高齢の僕でもできそうだなと。

ちょうど22年4月から京都芸術大学に書画コースが開講されることになって。しかも僕がキャレモジを習っていた宮村弦先生が同コースの講師に就任。この機会に入学しようと気持ちが固まりました」

とはいえ、入学時期は最後のコンサートツアーの最中だ。

「僕も引退してから大学に入ろうと考えていたんですが、せっかく新しいコースができるのだから、第1期生がいいと思いましてね。とはいえ、コンサートツアーと大学の勉強の両立は……想像以上に大変でした」

橋さんが学ぶ「書画」とは、書(文字)と絵画(水墨画)を指す。中国には「書画同源」、つまり書と絵画、二つの芸術は「筆墨によって生み出される一体的な芸術だ」という考え方があるそう。大学では、書画の歴史や漢字文化などの理論系と、書と水墨画の技術を体得する実技系、両方を体系的に学んでいく。

「最初は、『文字の起源』なんてところから勉強して。しかも教科書には中国古典が引用されていて、当然ながら全部漢字。読みがなもふられていないので読めない! 辞書を引きながら読むだけで四苦八苦。レポートの提出に追われて、ツアーの移動の新幹線の中でも書いていましたよ」

何かに取り組むときは「形から入る」のが橋さんの美学。畳の上をきれいに整え、作務衣を着て身支度を整える。静謐な空間の中で筆を走らせる。「筆で文字を書くと心が落ち着き、ふと何かを思い出したりする。不思議な力を感じます」

難しいからこそやりがいがある

実技も基礎からきっちり習う。

「書道には5つの書体があるんです。僕は楷書は学んだけれど、最も古い書体、篆書なんて書いたことがない。印鑑などに使われる文字ですが、逆筆といって筆運びのルールが楷書とは逆。うまく書けなくてね。

ツアーの合間に頑張って書いて提出した課題が最低のD判定を受けたときは、『何でDなんだ! 頭にくる!』と、家内相手にグチをこぼしました(笑)。Dだと落第。単位を取るには再提出しなきゃならない。だけど僕はね、クソッと思うと、よーし!と燃えるんです。勉強は闘いですよ(笑)」

と橋さんらしい威勢のいい言葉が返ってきた。どんなに勉強が大変でも、「大学をやめようと思うことはなかった」と言う。

「せっかく学ぶチャンスをいただいたわけですし。いい加減にはできない性分でね、やるからにはきちっと成し遂げたいんです」

学ぶことで可能性が広がる

歌手引退後の今は、時間と心に余裕ができ、勉強に専念できるのではと問うと――。

「相変わらず課題やレポートに追われています。今は水墨画の課題にも取り組んでいて。僕は創作アートはわりと得意なんだけれど、お手本を見ながらそのとおりに描く臨写がどうも苦手で。反骨心があるから、同じように描くのが嫌なんだよ(笑)。

でも、基本的に書も絵も好きなことだから楽しいですよ。学べば学ぶほど奥が深いなぁと。探求好きの僕には学びがいがある。もっとうまくなりたいという欲も出ますしね」

通信教育とはいえ、芸術文化に触れるワークショップなどで講師や学友と直に交流する機会もある。

「山梨県の西嶋和紙の生産地に行き、手漉き和紙ができる工程を見学したり。硯が原石からどう作られるかを見て勉強させてもらったり。和紙や墨も奥深い文化です。

『書』からいろいろ広がっていき、興味が尽きない。そういう見学会で学友に会えるのも楽しみ。若い人から50代、60代の人も結構いらっしゃる。皆さんからエネルギーをもらっています」

命ある限り学んで、人生を謳歌したい

橋さんは入学式の挨拶で「願わくば4年間で卒業できるように頑張ります」と述べた。その言葉どおり、卒業に必要な120数単位を取るため勉学に励んでいるが、主目的は学位を取ることではない。自身の一つの教養として、「筆を使って、書く、描くことを体得したい」のだと言う。

「そのためには基礎からしっかり学ぶ必要があるんです。書や絵画に限らず、歌でも何でも、基礎を学ばないと自己流になってしまい、結局会得できないんですよ」

それは橋さんの経験から導き出された言葉だ。

「僕は13歳から遠藤実先生の歌謡教室に通い、16歳からは吉田正先生に弟子入り。お二人とも後に国民栄誉賞を受賞される偉大な作曲家です。僕は幸運にも、お二人から徹底的に歌手としての基礎を叩き込まれた。

歌だけでなく人としての作法も教えていただいた。歌手デビューの翌年、時代劇に出ることになったときは、太秦撮影所で殺陣師に教えを請い、殺陣がうまくできるよう日々練習を積んだ。僕が60年以上も芸能の世界で生きてこられたのは、こうした学びがあったからなんです」

そして、こうつけ加えた。

「学ぶことで、人は自分の個性、感性を超えた次元のものを得られる。だから僕は命ある限り学んで、人生を謳歌したいんです」

橋さんは今、大学の勉強と並行して書や日本画の創作に勤しんでいる。自分の教養や趣味としてだけでなく、個展を開き、世に発信もしている。

「今は筆で書く機会が減りましたよね。筆墨という素晴らしい伝統文化を、皆さんに知っていただきたいという気持ちもある。今年は辰年でしょ。辰を絵と文字で表現した作品も展示しています。今後も自然や命をテーマにどんどん描いていきたい」

80歳にして新たな道を開拓。その姿勢と作品で人々を元気づけ、影響を与える。橋幸夫はやはりスターだ。

定期的に個展も開催

「橋幸夫フィルムコンサート」

3~4月は「橋幸夫フィルムコンサート」の会場で作品を展示予定。

3月28日/府中の森芸術劇場、29日/プラッツ習志野
4月12日/神奈川県民ホール、26日/大宮ソニックシティ

問い合わせ/夢グループ☎︎0570-666-443

※この記事は「ゆうゆう」2024年4月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

取材・文/村瀬素子

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