2023年10月ハマスの奇襲が成功した理由をシンプルに考える

2023年10月7日、イスラム組織「ハマス」のカッサム旅団とイスラム過激派「パレスチナ・イスラム聖戦」がイスラエルを奇襲した。世界のメディアはハマスの突然の攻撃と捉えているが、ハマスによるイスラエル攻撃はこれまでも幾度となく行われている。世界各地の戦争取材を行ってきた軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏は、今回の奇襲もシンプルに捉えるべきだと語る。

※本記事は、『工作・謀略の国際政治 -世界の情報機関とインテリジェンス戦-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

ハマスによる奇襲の動機は何か?

2023年10月7日に、パレスチナ南部・ガザ地区を支配する政党・イスラム組織「ハマス」の軍事部門「イッザルディン・アル・カッサム旅団」と、それに連携するイスラム過激派「パレスチナ・イスラム聖戦」(PIJ)がイスラエルを奇襲し、兵士や住民およそ1200人を殺害し、200人以上をするという事件が起きた。

イスラエル軍は即座に反撃を開始したが、ハマス戦闘員はガザ地区に潜んでいるため、イスラエル軍はガザ地区全体に激しい空爆を加えたうえ、地上部隊も侵攻させた。ガザ地区では、イスラエル軍の攻撃によりパレスチナ人の一般住民の巻き添え被害が拡大。

翌2024年1月下旬時点で、少なくとも2万5000人以上(うち1万人以上が子ども)が殺害された。

▲カッサーム旅団の軍事演習 出典:Fars Media Corporation / Wikimedia Commons

なぜハマスは今、このような攻撃をしたのか。ハマスがイスラエルを奇襲したことは初めてのことではなく、驚くことではない。ハマスとは、もともとイスラエルによる支配への抵抗を掲げる組織である。イスラエルの存在自体を認めず、当初はその消滅とイスラム国家樹立を正式に綱領としていた。

ただ、現実的な困難に直面し、2017年に綱領を一部改定。イスラエルを認めないことはそのままだが、ヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ国家樹立が、パレスチナ国民の総意と改めた。

つまり、当面のイスラエル消滅を事実上、棚上げしたわけで、それは政治的には軟化したことになるが、実際には自治区でも広範にイスラエルの事実上の支配がいまだ続いているため、ハマスのイスラエルへの攻撃はずっと継続されてきた。したがって、今回の攻撃は、その従来の姿勢の継続であり、特異なことではない。

ただし、「ハマスが今回の攻撃を可能とするまでの戦力を再建できていた」ということは注目点だ。ハマスとイスラエル軍の前回の大規模戦闘は2021年5月。その際、イスラエル軍はガザ地区への空爆でハマスの軍事拠点、地下兵器工場、軍事用地下トンネルの多くを破壊した。

それから2023年10月までの2年5か月で、ハマスは数千発のロケット弾を製造し、多くの発射機を製造し、兵士たちの携行兵器を調達し、奇襲に使う多くの地下トンネルを再建し、訓練所を建設し(襲撃後にハマスが発表した動画によれば最低6か所)、兵士の訓練を行った。過去の経緯からすると、かなり短期間に実行されたものといえる。

戦力再建と攻撃準備に7年かかっていたハマス

イスラエルがガザ地区から入植地と駐留軍を撤退させたのは2005年だが、それ以降のハマスとの主要な戦闘を振り返っておきたい。

最初は2008年12月から翌2009年1月にかけて。戦闘は23日間で、死者はイスラエル側が13人、パレスチナ側が1418人。次が2012年11月の8日間で、死者はイスラエル側が2人、パレスチナ側が62人だった。ここでハマス側でなくパレスチナ側と書くのは、パレスチナ側の死者の大多数が、ハマス戦闘員ではなく空爆で殺害された一般住民だったからである。

つまり、ハマスによるイスラエル攻撃は、ほぼ常にガザの一般住民に多くの犠牲者を生む結果で終わっているのだ。しかも、その死者数はパレスチナ側がイスラエル側の数十倍から100倍以上という不均衡なものだ。

さらに、3回目の大規模戦闘は2014年7月から8月の50日間で、このときはイスラエル軍が大規模な地上侵攻を行った。そのためイスラエル軍にもある程度の被害が出て、死者数はイスラエル側が73人、パレスチナ側が2310人となった。続く4回目の戦闘は2021年5月の12日間。イスラエル軍は激しい空爆を続け、死者はイスラエル側が13人、パレスチナ側が248人だった。

そして次が、今回の2023年10月の戦闘だ。こうしてみると、前回の戦闘から2年5か月というのは、比較的に短い期間といえる。というのは、イスラエル軍は戦闘のたびに、ハマスがすぐに戦力を再建できないように、ハマスの軍事拠点、とくに指揮所、幹部の潜伏場所、地下武器工場、地下トンネル出入り口などを徹底的に破壊したからだ。

そのため、ハマス側はそうした拠点を再建しなければならず、それにはかなりの期間がかかる。たとえば、前々回(3回目)の戦闘と前回(4回目)の戦闘のあいだは7年間も空いている。つまり、ハマス側は戦力再建と攻撃準備に7年をかけていたのだ。

今回の攻撃後にハマスが主張したところでは、奇襲作戦そのものの準備に2年近くかけたというが、いずれにせよ、そのわずかな期間で出撃が可能なまで戦力再建ができた。それはすなわち、戦力が整ったので従来どおり対イスラエル攻撃を実行したという流れになる。

ただし、今回はハマス側が「壁を壊して周辺を襲撃する」という、まったく新しい攻撃手段を思いついたために、イスラエル側に過去に例のない大きな被害が出たことで、たいへんな事態に至ったわけだ。

サウジアラビアとイスラエルの接近を妨害?

ハマスは今回の攻撃の目的を、イスラエル側がパレスチナ住民を不当に虐待していることへの抵抗だとしている。たしかに近年、とくにヨルダン川西岸地区で、イスラエル当局による暴力的なパレスチナ住民弾圧が続いてきたのは事実である。

それ以外にも、今回のハマスの攻撃の動機がメディアではさまざまに語られているが、いずれもハマスがそう主張しているわけではなく、推測だということは留意すべきだろう。

▲イスラエル軍によるガザ地区に対する攻撃 出典:Palestinian News & Information Agency (Wafa) in contract with APAimages / Wikimedia Commons

そのひとつは、サウジアラビアとイスラエルが国交正常化交渉を進めているため、それを妨害するためだという説だ。

サウジアラビアは、もともと聖地である(東)エルサレムの奪還と、パレスチナ国家の創設という「アラブの大義」の側に立ち、パレスチナを支援してきたアラブの有力国だが、ライバル勢力のイランと対抗することに加え、国内経済のハイテク産業への脱皮を目指すこともあり、米国の仲介でイスラエルとの関係を深めてきた。

イスラエルは、2020年にアラブ首長国連邦やバーレーンなどと国交樹立しているが、これにはサウジアラビアの仲介・賛同があったとみられる。

ハマスからすれば、自分たちの頭越しにアラブ世界がイスラエルと手を結ぶことを意味する。それなら「自分たちは見捨てられかねない」との危機感を持つのは自然なことだ。これは政治的な動機としては、あり得る。ただし、ハマスはそれが目的だとは言っていない。

ただ、今回の奇襲がイスラエル軍のガザ住民への攻撃を誘発したことで、実際にサウジアラビアとイスラエルの接近は頓挫してしまった。一般住民が殺されたことで、アラブ・イスラム世界からすれば「イスラエルがアラブ人・イスラム教徒を殺している」という構図になったからだ。

実際、サウジアラビアはイスラエル批判を明確にしている。そういう意味ではハマスの政治的な得点にはなるが、その目的のためにハマスが、相手の反撃による住民の大きな犠牲を覚悟してリスキーな行動を選択したのかといえば、その具体的な根拠はない。

根拠の乏しい推測より明確な事実をみれば、「ハマスがもともとイスラエルへの抵抗を掲げてきたこと」と「2年という短い期間で強力な戦力を獲得したこと」が決定的だ。つまり、シンプルに対イスラエル攻撃を継続したということだ。

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