子ども食堂に乗り込んできた母親を泣かせた40代パート女性の「意外な一言」

<前編のあらすじ>

弁当屋でパートをしている早苗(48歳)は、昼休みに公園で会うボロボロの服を着て痩せた男の子のことが気になり、おにぎりや余った弁当を与えていた。幼くして亡くなった我が子のことを思い出していたのだ。夫に話すと「弁当屋なんだし、子ども食堂でもやってみたらどうだろう? 近所のおばさんにご飯を振る舞われてるより、そのほうが親も安心だろう」という意見だった。早苗も名案だと思ったが、果たしてパートの身分の早苗は子ども食堂を開業できるのだろうか……?

子ども食堂、開店!

早苗は早速、店長に子ども食堂を始められないかと提案した。もちろん店の横に使っていないイートインスペースがあるとは言え、むちゃなお願いをしている自覚はあった。

しかし店長は早苗の頼みを快諾してくれた。お昼時のピーク時を避ける約束で、平日の14時以降、イートインスペースを子ども食堂として開放できるようになった。

早苗はまず、イートインスペースの掃除と整理整頓から取り掛かった。物置になっていた古い机を磨き、家で作ってきたテーブルクロスを敷いた。倉庫にしまい込んでいた椅子はがたがただったので、店長に頼み込んで新しいものを購入した。店長もさすがに渋い顔をしていたけれど、届いた椅子を3つ並べた小さな子ども食堂を見ると、いい店構えじゃないかと褒めてくれた。

場所の準備を整えるのと並行して、早苗は仕組みを考えた。子ども食堂は“子どもやその保護者、地域住民に対して無料または安価で「栄養のある食事」や「温かな団らん」を提供する”ものであり、参加費や開催頻度などの決まった定義は存在しない。早苗はひとまず中学生までを限定とし、毎週火曜日と木曜日の週2回、お弁当を100円で提供することに決めた。もし100円を払うことも難しければ、スタンプカードにスタンプを押して“べんとう貯金”という名のツケを記録する。そうやって、誰もが気軽に食事を求められる場所であることを心掛けた。

もちろん宣伝も忘れない。使い方が分からないなりにSNSのアカウントを作り、メニューの宣伝などを行った。近隣の小中学校へのチラシを配ることも。どちらかといえば、おしゃれな写真や文章を考えるよりも、実際に歩いて宣伝するほうが性に合っていた。

できる準備はすべてやった。けれど、子ども食堂オープンの初日、やってきた子どもはいつものようにお店の裏を通りかかった勇太1人だけだった。

「そう、気を落とさないでね」

閉店時間を過ぎても残った弁当を眺めながら一人反省会をしていると、店長が声を掛けてくる。

「お疲れさまです」

なるべく気丈さを装ったつもりだが、語尾には疲労がにじんでしまう。

「まだ初日だから、これからだよ」

「ありがとうございます……」

「弁当屋を始めたときのことを思い出したよ。お客さんなんて全然来なくてさ。半年くらいは我慢の毎日だった」

「半年も、ですか……」

「そう。でも真剣に真心を込めてやっていたら、きっと誰かは見ていてくれるもんだよ。僕もできる限りの協力はするから、頑張ろう!」

「はいっ」

店長が先に上がった店内で、早苗は大きく伸びをする。気を取り直してまた明日から。

インフルエンサーがきっかけで大盛況に

しかし入れ直した気合とは裏腹に、勇太はやってきてくれるものの、それ以外のお客さんが来ない日々が続いた。

そんな状況が一変したのは、夏休みも間近に迫った7月のある日。

めげることなく続けていたSNSでの宣伝を、自身でも子ども食堂を運営しているインフルエンサーが宣伝してくれたことがきっかけだった。

加速度的に増えるフォロワーといいねの数に面を食らった早苗だったが、戸惑いはすぐに喜びへと変わる。次の子ども食堂の営業日から、お客さんの数が増えたのだ。

共働き家庭で夕飯はいつもコンビニだったという中学生がやってきて、夜勤でお母さんがいないからと、小学生の女の子が弟を連れてやってきた。3席しかないことが申し訳なくなって、早苗はお店の裏のベンチをすぐに開放しに向かう。

「おばちゃん、どうしたの?」

「あ、勇太くん! こんにちは。今日はね、お友達がいっぱいだよ」

遅れてやってきた勇太は慌ただしくしている早苗を見て目を丸くする。早苗は勇太にお弁当を1つ渡し、スタンプカードにスタンプを押してあげる。

「お、常連さんが来たね」

店長もキッチンの奥から勇太を歓迎する。意味が分かっているのかいないのか、勇太はどこか誇らしげな表情をしている。

子ども食堂が繁盛したおかげで、早苗の休憩時間は見事になくなった。しかし充実感はこれまでと比べものにはならなかった。

母親の来訪

のり弁当とコロッケ弁当のふたを閉じている輪ゴムにそれぞれ割りばしを通し、ビニール袋にしまう。670円。トレーの1000円札を受け取って、330円のお釣りを返す。

「子ども食堂、いいっすね」

もはやなじみの顔になった作業着姿のお兄さんが、レジ横のポップを指さした。早苗は照れ笑いを浮かべる。

「ありがとうございます。最近ようやく人に知られてきて、なんとかやってます」

「うちにも来年、小学生のガキがいるんすよ。近所にこういうのあったら安心っすよね」

「そうですね。気づかれてないだけで、意外とやってるところ多いみたいなので、探してみるといいかもしれないです」

「そうなんすか。いいこと聞いたっすわ。あざっす。また来ます」

「いえいえ。いつもありがとうございます!」

早苗はビニール袋をぶら下げて立ち去る背中を見送る。顔を上げ、次のお客さんを出迎える。

「いらっしゃい――あれ、勇太くん」

早苗は目を丸くする。日曜日なのに勇太が来たからだけではない。若い――それこそ早苗の娘でもおかしくなさそうなほど若い母親が、勇太の手を引いていたからだ。

「こんにちは」

――あんまり深入りすると、その子の親も嫌がるんじゃないか?

笑顔であいさつをしつつも、早苗の脳裏にいつかの夫の言葉がよみがえる。早苗はお客さん側からは見えないカウンターの影でエプロンの裾を握る。

しかし勇太の母親は、早苗の懸念とは裏腹に深く頭を下げた。

「あの、いつもありがとうございます。その、私、仕事が忙しくて、全然勇太の面倒とか見てあげられなくて、でも、この子、何にも言わないから、気づいてあげることもできなくて、その……」

声が震えていた。勇太は困ったような顔で早苗を見て、それから母親としっかりつないだ手に力を込める。

早苗はすぐに厨房(ちゅうぼう)の店長に目配せし、レジを交代してもらう。

「お母さん、もうお昼食べました?」

「はい?」

勇太の母親は意味が分からないといった様子で顔を上げる。

子ども食堂を始めようと思って調べたとき、早苗はそれが子供のためだけのものではないことを知った。それは子供だけでなく、親や地域住民みんなにとって温かな場所であるべきなのだ。

「よかったらちょうどお昼時ですし、一緒に食べませんか? いつも勇太くんが食べてるお弁当。けっこうおいしいんですよ、店長の自信作で」

勇太が母親と顔を見合わせる。光る目元にしわが寄る。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。 マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

© 株式会社想研