中世社会明かす、青方文書を重要文化財に 川棚魚雷発射場は登録有形に 文化審答申

登録有形文化財に答申された川棚魚雷遠距離発射場の「射場」(左の立屋と人工島)と陸地をつなぐ「突堤」(手前)。波にさらされ風化が進んでいる=川棚町、片島公園

 国の文化審議会(佐藤信会長)は15日、鎌倉~室町時代の中世を中心とした385通の文書からなる「青方文書」(長崎歴史文化博物館収蔵)を重要文化財に指定するよう盛山正仁文部科学相に答申。また、旧海軍の魚雷専用発射施設「旧佐世保海軍工廠(こうしょう)川棚魚雷遠距離発射場射場」ほか4件(東彼川棚町)の有形文化財登録を答申した。
 青方文書は現在の新上五島町に居住し、鎌倉時代には御家人だった青方氏に伝来。所領を巡る訴訟文書や勤務記録、漁業などに関する多彩な文書から構成される。中世から近世まで青方氏に関する資料1229点が残されており、うち中世を中心とした文書を指定する。
 中世の社会のあり方を明らかにする上で重要で、豊富な内容の史料群がまとまって伝わった貴重な例として評価された。同博物館では4月24日から6月16日まで、常設展示の一部として公開する。
 旧佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場は、東彼川棚町三越郷にある旧日本海軍の魚雷発射試験場跡。町教委などによると、1918年開設。同工廠や三菱長崎兵器製作所(長崎市)で製造された魚雷の性能を評価し、合格したものを佐世保鎮守府に送った。
 答申されたのはコンクリートブロック製の人工島に上屋や軌道敷を残す「射場」、陸地と結ぶ「突堤」など5件。射場は「全国的に希少な軍事遺構」と評価された。川棚町内の国文化財は初めて。
 戦後、手付かずの状態が続いていたが、2015年から町が「片島公園」として整備。憩いの場や映像作品のロケ地としても活用されている。同町新谷郷の「特攻殉国の碑(川棚臨時魚雷艇訓練所)」と合わせ、訪れる旅行客も多い。
 川棚海軍工廠(1943年開所、百津郷)で働き、試験場に部品を届けたことがある田〓(fa11)學さん(94)=東彼波佐見町=は「当時を思い起こさせる場所。戦争を起こさぬためにも後世に残して」と話した。
 本県の国指定重要文化財(美術工芸品)は今回を含め35件、登録有形文化財(建造物)は136件(62カ所)となる。

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