「なぜ元日に…現実ではないみたい」足の震えが止まらなかった… 帰省中に被災した大学生が残したふるさとの記録 「被害の現状を伝えてほしい」と託されて

能登半島地震の発生から2か月が過ぎました。帰省中に被災した石川県珠洲市出身の大学生が、広島にいます。大切なふるさとがまた元気になってほしい…。そう願う学生は、地震直後から映像を記録していました。

「信じられないというか…言葉にするのが難しい感じ」。震災当時の気持ちを語るのは広島県尾道市で暮らす大学生、道端享介さんです。年末から石川県珠洲市に帰省し、家族と初詣をしていた時でした。これまでに経験したことのない大きな揺れに襲われます。

「立っていられないし、座ろうとしても揺れが大きすぎてなかなか座れなくて、自分のことで頭がいっぱいになりながらも、周りにいる家族を心配しつつ」

1回目の大きな地震で慌てているなか、2回目のさらに大きな地震に襲われ周囲はパニック状態だったといいます。余震に怯えながら警報音の鳴りやまないスマホを確認…。そのとき初めて「大津波警報」を知り、家族や地元の人たちと一緒に高い場所に避難しました。

毎年初詣のために車で通った海岸沿いの道路や見慣れた景色…。津波に車や住宅がなぎ倒され、のみこまれていったのは、地震発生から20分後のことでした。

「やばいやばいやばい…なんで元日に?」

道端さんは目の前の光景を、現実のこととして受け入れることができず、足の震えが止まりませんでした。

「みんなパニックな状況で、電話やLINEで大丈夫?と心配し合っている感じ」。また次にいつ大きな地震がくるか分からない、そんな恐怖を感じました。

津波警報が解除されることもなく、自宅までの帰路が断たれてしまったため、家族とともに車の中で眠れない夜を過ごしました。

この日の平均気温は約4℃。凍える寒さのなか、たき火をしたり近くの避難所にあった少ない毛布で暖を取ったりして寒さをしのぎました。

道端享介 さん
「全員寝てしまうのが不安で怖かったので『自分は大丈夫』と家族に伝えて眠れませんでした。この先どうなるか本当に予想がつかずに不安でしたし、どうすればいいのか、わけわからない感じ」

「現実ではないみたい」瓦礫の山と一変したふるさとの景色

翌日、津波警報が解除された町の様子は一変していました。海岸沿いの道路を覆う住宅の瓦礫の山。ライトが点灯したまま住宅に突っ込んでいる車。なんとか車で自宅に戻ろうと、陥没した道路の段差や穴を埋める作業に追われました。

「いつもとは違う風景で…現実ではないみたい」。車で通常の倍以上の時間をかけてなんとか自宅に戻ることができましたが、室内は割れた食器や床に落ちた日用品などで足の踏み場がない状態でした。自宅の倒壊などの大きな被害を免れましたが電気や水道などライフラインは断たれました。

能登半島で生まれ育ち、これまでにも何度か地震を経験したことはありました。しかし、今回のは地震の規模が全然違うー。そう強く感じさせられたといいます。

道端享介 さん
「これまでの地震で物が落ちたとしても、何か軽い物が落ちたりだとか、数冊本が床に落ちる程度でした。ベッドで寝れるような状況ではないですし本当にいろんなところからストレスが来て、体力面というよりメンタル面の方がみんな疲弊してたと思う」

地震発生の翌日から毎日、情報を得るためスマホの電波を探し求めて珠洲市内を車で移動しました。

道端さんの父親
「ネットワーク接続がありません…全然ないよ。連絡とりたいけど、とられんもん」

車を運転しながらそう呟く父の隣で、窓の外を眺めていました。屋根から崩れ落ちた住宅。道路に倒れかかった標識や電柱。道路に入った長い亀裂…。車窓から見える町の景色に言葉を失いました。

道端享介 さん
「自分のところと全然違う甚大な被害だったので、なんていうか…とにかく地震の規模が大きいということを感じた」

珠洲市の中でも道端さんが特に大きな衝撃を受けた場所があります。石川県珠洲市の南西部に位置する宝立町です。

「いつも見ていた風景とは本当に全く違う光景で、違う場所にいるみたいでした」。そこは道端さんが友人とお祭りに参加して砂浜で花火を見たり、毎年母親の実家に親戚みんなで集まったりした思い出の町でした。

「もちろん海も近いし、地震だけじゃなくて津波の影響もあったのかなぐらいで考えてたけど、実際行くと全然違って。もっとひどい状況だったので…もう辛かった」

「正直帰りたくなかった」石川出身の僕が大切な人たちから託されたこと

電波を求めて町を移動する中で、友人と再会するたびにお互いに「大丈夫だった?」「よかったよかった」と声をかけあい、胸をなでおろしました。さらに、避難所や炊き出しの手伝いなどで再会した地域の人が前向きに生きようとする姿に元気づけられたといいます。

地震発生から1週間後…。余震が続くなか、家族の元を離れて暮らすことに不安を感じましたが、両親にも背中を押され大学に通うため1人、広島県尾道市に戻りました。

道端享介 さん
「正直、自分はまだその時(尾道に)帰りたくなかったです。余震がある度に家族にメッセージを送ったり、たまに電話をしたり」

遠く離れて暮らす大切な家族のこと、生まれ育った自然が豊かで大好きなふるさとのこと、今でも毎日のように考えています。

「1日でも早く元に…元に戻ることはできないかもしれないけれど安心して過ごせる日が来てほしいなというのが1番の願いです」

地震から2か月余り…。道端さんは、倒壊した住宅や瓦礫、道路に入った大きな亀裂、アスファルトの地面から飛び出したマンホールなど町は今もなお発生当時から変わっていないと話します。石川県から遠く離れて暮らす今の自分にできること、それは地震の現状を伝えることだと感じています。

石川県を発つ前、地域の人や家族に頼まれたことがありました。

道端享介 さん
「石川県のことはニュースでたくさん報道されているけれど、実際に行かないと分からないことは多分たくさんあると思う、だから『被害の現状をいっぱい見せて、そして伝えてきてほしい』と。何気なく一緒に生活してすぐ近くにいる人や、いつも遊ぶ友達、今を大切にしてそれが当たり前ではないことを分かってほしいなと思います」

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