森元首相、地元延伸に万感 「小松、加賀協力で新時代を」 

ホームで記念写真に納まる(左から)宮橋、森、宮元の各氏と佐々木紀衆院議員=JR小松駅

  ●半世紀にわたり議論けん引

 16日は能美市(旧根上町)出身の森喜朗元首相も東京駅から「はくたか」に乗って南加賀に入り、待ちわびた地元への延伸に喜びをかみしめた。構想から半世紀以上を経て福井までレールがつながった日本海側の大動脈は、永田町で延伸議論を引っ張ってきた森氏の歩みと重なる。北國新聞社の取材に対し「長いようであっという間だった。これから小松と加賀が協力して、新たな時代を築いてほしい」と期待を込めた。

 はくたかが小松駅と加賀温泉駅に停車するたび、森氏はホームに降り、宮元陸加賀市長、宮橋勝栄小松市長らと記念撮影した。両市の連携を演出する狙いで、森氏は「最短7分で結ばれる小松と加賀の交流を進めていくことこそ、南加賀の力になる」と述べた。

 北陸を含む整備新幹線の基本計画が決定されたのは1973年。森氏は与党で議論の中枢に携わり、時には北陸の事業凍結など苦難に直面した。はくたかの車内では、白山を背にした木場潟が陽を浴びて輝く景色に目を細め「きれいだな。この光景が見たかった」と感極まった様子だった。

  ●「北陸は上日本」

 加賀市で開かれた祝賀会では、かつて中央官僚が北陸を「裏日本」と呼んでいたことを徹底して忌避してきたと振り返り、「日本海側は日本地図で見ると上側だから『上(うえ)日本』だ」と提案。「みんなで心して立派な郷土をつくろう」と呼び掛けた。

 取材に対し、敦賀以西延伸については「上げ潮ムードの中、米原ルートを採用することが望ましい」と述べ、大阪から関西国際空港につなぐことで関西の理解を得るべきだと主張した。

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